第四夜

「で? 本気であの王女を娶るつもりなのか? レイノ」

階下の一室。パチパチと勢い良く燃える暖炉を横手に、長髪の男は、優雅に足を組み、頬杖をついて真向かいに座っている男に話しかけた。二人とも今では羽織っていた黒いマントを脱ぎ、一目で上流貴族と分かる身なりをしている。
レイノは視線のみ動かし、話しかけてきた男、ミロクを一瞥すると、にやりと笑った。

「......あの王子のモノなら全部戴くつもりだからな」

「おいおい。一応今は『国王陛下』だぞ? まあ、確かにあの新国王を手っ取り早く排するには都合いい旗印だが」

レイノの返答にミロクが相槌を打つと、

「あんな平凡な王女、レイノ様には似合いませんよー」

「食指も動かないのでは?」

「まあ、戴いたところでどうせお飾り扱い。あの王女を正妻にしても、レイノ様なら選り取りみどりの美女を側室に囲えますよ」

傍に控えていた他3人の男達も軽快に笑いながらそれに加わる。
ソファに腰かけてる二人の貴人の側近だろう彼らも、既に黒マントは脱ぎ、側近らしい動き易い簡易衣装を露にしていた。

「それはそうとレイノ様。この度のご婚約発表披露宴に、反王政派の方々が祝賀に駆け付けるとのことです」

この場合、『反王政派』とは、現国王レンの王政に反する者達、つまりは『旧王政派』の残党だ。

「...今まで現国王の目に留まらぬよう、身を潜めていたのにご苦労なことだな」

「何をおっしゃられます! 正嫡の王女を手に入れさえすれば、レイノ様こそこの王国を動かすに相応しい御方! お集まりになる皆様方もそう見込んでいるからこそ、『あの惨事』以来、色々とレイノ様にご尽力下さって来たのでしょう?」

ふんっとレイノは鼻で嗤った。

「......奴らが欲しているのは、己らの望みどおりに動く意志のない傀儡さ。予定通り第一王子(役立たず)が王位を継いでさえいれば問題は無かったろうに、あの第三王子ではな。あの役立たず代わりに白羽の矢が立ったとしても、素直には喜べんな」

...充分、利用はさせて貰うが。
レイノの辛辣な言葉に、側近達一同言葉に詰まる。その空白を狙ったかのように、ミロクが口を開いた。

「シズル、キヨラ、タスク。お前達、客人達が滞り無く到着出来るよう、屋敷内外の様子を見て来てくれ」

勿論、折角捕えたお姫様が逃げたりしないようにな......、との命令を受けて、3人は恭しく一礼すると部屋から退出した。




「......さて、実際のところ、どういうことなんだ?」

他3人が完全に退出したのを見届けると、ミロクは改めてレイノに向き直った。

「なんのことだ?」

「しらばっくれるな。あの王女と国王だよ。『あの惨事』の場に居合わせなかったくせに、あの王女だけ生き残っていると突き止めたのはお前の凄いところだが、なんだって、あの王女だけ国王レンは生かしてあの古城に閉じ込めてたんだ?」

自分の首を絞める存在になりかけないのに、と零すミロクに、レイノはふっと冷笑する。

「あっけないくらい簡単な理由さ。男が女を囲う理由は一つだろう?」

しかも、かなりご執心と見える、と呟くレイノにそれでもミロクは訝しむ。

「......異母兄妹だぞ?」

以前からレイノのそれらしい台詞は耳にしていたが、半信半疑と言うか、あまり本気にはしていなかった。ミロクの目から見たレンは、あくまで冷静沈着で恐ろしく頭の切れる隙の無い人物。王位に就いたばかりのこの不安定な時期に、わざわざそんな自分の首を締めるようなことに惚けるとも思えない。

「表向きは......な」

「......どういうことだ?」

「気付かなかったか? あの『第三王子』だけ、前国王に一つも似たところなど無いことを。他の王子、王女どもは少なからず髪や目の色、容姿の造形(つくり)など、どこかしらにその片鱗があったのに」

「月の女神とも見紛う絶世の美女だった母親似という話だったが?」

「そう、確かに容姿の造形は母親似。唯一瞳の色を抜かしては......な」

「......? 母親も碧い瞳だったと聞いているぞ?」

「翠がかってはいなかったらしい」

「そんなもの......」

大した違いでは無い、と言い切ろうとしたミロクも、レイノの眼差しに言葉を飲み込む。

「些細な違い。それ故、見落とされた。月満たずで産まれた赤子が、本当は誰の子だか......」

ククク、とレイノはさも可笑しそうに笑った。

「本当は王家とは縁もゆかりも無い者だと? だったら、国王の座に就くこと自体......」

「現王政の反対派にはこれ以上はない情報だろうなぁ。尤も、今となっては証明すること自体が難しかろうし、あの男にとっては問題にもしない秘密であろうが」

「バレて構わぬ秘密ならば、弱点でもあるまい?」

「そう。彼の出自がどうであろうと、既に国軍は彼自身に忠誠を捧げている。だが、前国王の庶子として王位に就いた方が、『王位簒奪者』としてよりも民や臣下から受け入れられ易く、都合がいいのも事実だ。実際、『あの惨事』の後、彼が王位を継いでも中立を保っていた貴族共は文句を言わなかっただろ?」

恐ろしくて声を出せなかったのもあるだろうが、と あくまで愉快そうに話し続けるレイノを見遣りながら、ミロクは口を挟む。

「だったら余計、なんのために正嫡の王女を生かしておいたんだ?」

「さっきも言ったろう。手に入れるためさ。男として、な」


レイノの脳裏に、少年時代のレンが浮かび上がる。
一年間だけ、レイノはレンと同じ騎士学校に通わされた。とは言っても、特に接触があった訳では無い。レイノの傍若無人振りにほとほと困り果てた父侯爵が、苦肉の策として家名を伏せて騎士学校に一人、放り込んだのである。レンはたとえすれ違ったことがあったとしても、レイノがヴィーグール家ゆかりの者だとは気付きもしなかったろう。
騎士学校でレイノが矯正されたかと言えば、そんな都合良い事が起こるわけも無く、侯爵の目論みは徒労に終わったのだが、この通学期間にレイノはレンに興味も持った。
妾腹の王子など、と有力貴族の御曹司どもにはさして敬意を払われていなかったレン。かと言って気にするでも無く、誰に対しても人当たり良く、決して感情を表に出さずに何事もそつなくこなす。ある意味出来過ぎな程に。
...それが、レイノには面白く無かった。

あの完璧なまでの冷静沈着で温厚な仮面を剥がすことが出来たら、どれだけ面白いだろう......。

歪んだ興味から芽生えた執着。
そう、レイノの得意とするのは、人の弱味や醜聞、秘密を探し出すこと。弱味を他人に握られただけで、人とは滑稽に踊らされる。己の手持ちのカードを使って人を思い通りに動かすことこそが、レイノの退屈しのぎのゲームだ。しかし、そうかと言って父侯爵や兄のように王位や出世に野心があったわけでもない。己の興味のみで動く、飽きっぽさと粘着さが合混ざった厄介な性格をしていた。

だからこそ、気付いた。
レンが誰を見ているか。誰を欲しているか。
そして、ソレを手に入れるためだけに、レンは何が必要だか。
レンは王位に就かねばならなかった。キョーコを手に入れるためには、なんとしても。

ゆっくりと、しかし、確実に能力と人心とを手に入れ、実績でもって国軍さえ手中にし、登り行くレンの様は、傍から見ていて小気味いい程だった。
キョーコに持ち上がった縁談の数々はさぞかしレンを慌てさせたことだろう。成人と共に、婚約させられるのは王侯貴族の常とは言え、キョーコは正嫡の王女。政略結婚の最も強力な駒として使える逸材ゆえ、早々嫁せられることはないと踏んでいたに違いない。
陰ながらキョーコに縁談が持ち上がるよう突ついていたのは他ならぬレイノなのだが。
あのまま老王が崩御などしなければ、前王存命中であっても、レンは兵を上げたことだろう。
...偏にキョーコを手に入れるためだけに。誰にも渡さぬために。
レンにとってはとても都合良く前王が崩御してくれたおかげで、治世交替の混乱に紛れてトントンと事が進んだに違いない。レイノも当時は身を隠すだけで精一杯だったのだから。

王族は全員『あの惨事』で一掃されたと、まことしやかに流れていてもレイノだけは信じなかった。
必ずキョーコだけは秘密裏に生かされてるだろうと。
掌中の珠の如く、大事に、大事に、どこかに隠しているに違いないと。
そう確信してた上でとった行動だ。キョーコの居場所を割り出すのには、さして時間は掛からなかった。
蓮自身、キョーコを訪れる際には細心の注意を払っていたにしても......だ。


「まあ、国王とあの王女が男女の関係だというのは分かったよ」

......とりあえず、とミロクが付け加える。

「だが、王女の方はどうなんだ? 見たところ、王女の方は未だレン王は異母兄だと信じ込んでいるようだが」

「......みたいだな」

「血の繋がった兄妹だと信じ込ませたまま、手籠めにしたってことか?」

「国王にも色々と事情があるだろうしな。あの王女はおそらく何も知らされてない。……だからこそ、こちらが付け入る隙もある」

不敵な笑みを浮かべたまま、レイノは窓の外に視線を向けた。夜の帳に包まれつつある外に。

王位と共に意中の姫を手に入れ、今の今までレンは喜びの美酒に酔っていたことだろう。 離宮の完成に伴い、じきそれは確実のものとなる。
王宮に建てられている離宮が誰のためのものであるか、レイノには一目瞭然だった。
だからこそ、その直前でレンの至高の華を奪ってやったら......レンの衝撃はどれほどのものか。
あの見事なまでに整った秀麗な顔は、どのように歪むのだろう......。
そして、その後はどうなる......? レンは......。この王国は......。

クククと喉の奥でレイノは笑いを押し殺す。

さあ、始まる。楽しい宴(ゲーム)が。
そのために、そのためだけに、興味も無い旧王政派どもの話に乗ってやったのだ。
どちらに転んでも、いつもスカした顔したレンの顔色変えて狼狽える無様な姿が拝めるのなら、構いやしない......。


「ふ、ふざけたことを言わないでっ。今日会ったばかりの人と婚約など出来るわけないでしょう?!」

階下でレイノとミロクが不穏な会話をしているなど露知らず、急に降って湧いた婚約話にキョーコは狼狽える。

「......そうなのですか? しかし、正嫡の王女がこのヴィーグール侯爵家に降嫁されるお話はもう随分前から進んでいたはずですが?」

黒髪美人の侍女は、キョーコの反応にさして驚く様子も無く、ドレスが皺にならぬよう、さっさと部屋のクローゼットを開けて掛けた。

「私は、ヴィーグール侯爵家のご嫡男が私の婚約者候補の一人に上がっているとしか聞かされてなかったわっ。第一、お父様が崩御なさったと同時に、その話は白紙に戻ったはずよ? ヴィーグール侯爵もそのご嫡男もお亡くなりになったのだからっ」

「......確かに、侯爵家の後継であられたご長子は亡くなられましたが、レイノ様がご健在です。侯爵家はレイノ様が継がれますわ」

「だからって、私はその人と婚約することなど、了承してない!」

キョーコの抗議は目の前の侍女にとってはまるでどこ吹く風。歯牙にもかけずに、飄々と返された言葉に、キョーコは愕然とした。

「あら? でも、既成事実さえあれば、そうも言ってられませんわよね?」

(き、既成事実ですってぇーー?! 一体、何をするつもりなの!)

ゾゾゾゾ、と背筋に悪寒が走る。この身がレン以外の誰かに触れられるなど、考えるだけで堪えられない。

「この度の慶事に、昔から侯爵家と懇意になさっていた方々がお祝いに駆け付けて下さるそうです」

(...つまりは、お兄様に反感を持つ者達が一同に会する、ということね)

「後2時間もすれば、皆様全員お着きになるでしょう。ですから、それまでに身綺麗になさって下さいませ」

(...まるで、私がここに連れて来られるのを待っていたかのようなタイミングの良さね。全て計画的だったということ?)

侍女の淡々とした説明に、キョーコは事の成り行きを把握しようとする。

「姫君は長旅でお疲れでしょうから、まずは湯浴みでもなさって、汗をお流し下さい」

にっこりと綺麗な笑みを浮かべて、侍女は部屋の奥にある浴室を指し示す。既に準備はすっかり整い、浴室からほかほかと湯気が立っていた。

「なんでしたら、お身体を磨くお手伝いをしましょうか?」

「いいえ! 結構です、自分で出来ますから!」

冗談に聞こえない提案をされて、キョーコは慌てて浴室に駆け込み、扉を閉めた。
一昨日の情事の名残りが未だ刻まれている素肌を他人に見られるわけにはいかない。

(これから、どうしよう...)

浴室でキョーコが逡巡してると、コンコンと扉がノックされる。

「失礼します。お湯浴み後はどうぞこちらの下着を。ドレスの着付けはお手伝いしますので」

そう言って、侍女は一抱えの衣服と共に浴室に入って来た。その一番上にあったインナードレスをキョーコに指し示しつつ浴室の台の上に置くと、残りの荷物......侍女のお仕着せらしい衣装やタオルなど......をテキパキと戸棚や引き出しへと仕舞って行く。

「この部屋は屋敷の裏側に位置しているので、正面玄関からは遠いですが、逆に裏方の使用人用階段から近く、今宵は特にそちらが些か騒がしく聞こえるかもしれません」

所在なげに立ち尽くしているキョーコを背後に、侍女は淡々と自分の仕事をこなしつつ、そう述べる。

(裏方の、使用人用階段......)

そこからならば、外に出れるかも知れない......。キョーコはそう思案する。

「それでは、私はあちらの間で控えておりますので、ご用意が出来次第、御呼び下さい」

そう言って侍女は完璧な礼を取ると、さっさと浴室から出て行った。
キョーコは用意されたインナードレスを一瞥し、すぐさま視線を戸棚に移すと中から侍女のお仕着せを一着取り出した。取り出したと同時に、インナードレスを衣服の間に挟んで隠す。

「考えてる暇は無いわっ。とにかく、ここから逃げないとっ」

キョーコは急いで侍女のお仕着せを身につけ、引き出しの白い侍女用ボンネットで長い黒髪を隠し、先程侍女が仕舞ったタオルを一抱え取り出すと、こっそりと浴室から忍び出た。




「レイノ様ってば、本気であの色気のねー平凡王女を娶る気なのかな」

「だから、形だけだろ? 必要なのは『正嫡の王女』という身分だけさ」

キョーコがタオルを一抱え持ち、侍女の振りをして廊下を粛々と歩いていると、前方からそんな会話が耳に入った。男が二人、こちらに向かって歩いて来る。その声は古城に現れた黒尽くめの男達の内の二人。そして彼らが来た方向には、階段が。そう気付いて、キョーコは顔を伏せ、一層身を固くして通り過ぎようとした。

「おい、お前」

男の一人に話しかけられ、キョーコはびくっと身を縮こませる。

「リネン室に行くついでに、これを洗濯室へ持って行ってくれ」

「あ、俺のも」

そう言って手渡された彼らの厚手の黒いマント。キョーコはあくまで声を発さぬまま、頭を下げてそれらを受け取り、腕にかける。マントと言えど、二着ともなるとかなりの重みだ。侍女らしく静かに礼を取ったまま二人が通り過ぎるのを待っていると、ざわっとキョーコの背後の方、正面玄関の方向からざわめきが聞こえた。

「おっと、御客人達が徐々にお着きのようだな」

「粗相の無いよう、様子見に行くとするか」

「視覚的に美しくも無い権力の亡者達のご機嫌取りなど、気が滅入るけどな......」

「レイノ様の御為だ、仕方ないだろ」

めいめいそう口にしながら足早に離れて行く。
キョーコは早鐘を打つ心臓を押さえながら、彼らとは逆方向の階段へ、階下へと急いだ。

(早く、急がないと!)

降りた先は、案の定使用人達が忙しなく行き交っていた。キョーコは不審がられぬよう気を付けながら、目星を付けたリネン室へと足を運ぶ。足を踏み入れたリネン室には、綺麗に整頓されたシーツやタオルは勿論、侍女、侍従などのお仕着せなども仕舞われていた。

(そう言えば、あの侍女。なんでわざわざ私の目の前で洗濯物を片付けたのかしら?)

明らかに客室だったキョーコのいた部屋の浴室に、普段から侍女の衣装を仕舞っているとはとても考えられない。そう思いつつ、持って来たタオルをリネン室に置くと、マントを持って隣接してる洗濯室へ入る。思った通り、洗濯室には外への出口があった。キョーコは漆黒のマントの一つを羽織り、周りに人がいないことを確認すると、夜の闇へと紛れた。

「国王陛下」

騎乗のヤシロが、同じく騎乗のレンに向かって奏上した。

「それぞれ張らせていた密偵から連絡が。今までなりを潜めていた旧王政派の残党共が一斉に動き出したと......」

「......どこへ向かっている?」

「おそらく、我々と同じ行き先です」

レンは現在国王直属の精鋭達を引き連れて移動中。向かう先をヴィーグール侯爵家の別荘と定めて。

「キョーコは無事だろうか......」

「大切な旗印でしょうからね、危害を加えるようなことはないでしょう」

「私が心配しているのは、命の危険だけでは無いっっ」

レンの咆哮にヤシロは押し黙った。
そう、敵方に捕らわれた女の末路......。命を取られるより先に与えられる、死に勝る『屈辱』、貞操の危機。大切な手駒として利用するつもりならなおのこと、命よりも心配なのはそちらの方だろう。

レンはギリッと歯軋りした。
キョーコは、レンが誰よりも、何よりも、望んだ至高の華。
自分が花開かせた、自分の腕の中でのみ咲く、自分だけの華だ。
そのキョーコに、その肌に、他の男が触れるなど許せない、許せるわけが無い。

「......一応、手は打ってあります」

蓮の心情を察したヤシロがぽつりと呟いた。

「以前から放っていた密偵の一人は、ヴィーグール侯爵家とその縁の者達を見張らせていました。不審に思われぬよう、長いこと連絡を絶っていましたが......。先程入った連絡では既に例の屋敷内部に入り込んでいる様子。姫君をそれとなく脱け出させるお手伝い程度は出来るでしょう」

ヤシロの言葉を聞いても、レンの気は晴れない。
この腕に再びキョーコを抱きしめるまで、安心など出来ない。

(頼む、間に合ってくれ......)

レンはひたすら前方を睨みつけ、馬を進めた。

ピクリ

何かを察したかのように、レイノが面を上げ、窓の外を見やった。
今ではすっかり夜闇に包まれいている。

「どうした? レイノ」

客人が到着しつつあるというのに、さっきから寛いだまま動こうとしなかったレイノの変化に、ミロクが問う。

「............」

窓の外を凝視したまま、無言でいるレイノ。痺れを切らしたミロクが再び口を開こうとする前に、レイノは立ち上がるとソファに掛けていた自分の黒いマントを再び羽織った。

「おいおい、レイノ。どこへ行くつもりだ?」

「......りんご狩り」

「ふ〜ん、そうか。そのまま美味しく戴くの構わないが、披露宴には間に合うようにしてくれよ」

レイノは振り向きざま にやりと口端を上げると、さっさと部屋から出て行った。

屋敷周りをしていたシズルが『王女脱走』の報を伝えに血相変えて部屋に飛び込んで来るのは、その数分後。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

深い木々の合間を、キョーコは必死で走っていた。
夜の闇の中、木々の狭間から届くのはぼんやりとした月明かりと星明かりのみ。
その僅かの光と星の位置を頼りに、キョーコはただひたすら走り続けた。
未知の暗さに怯え、茂みに服やマントの端を取られ、引き裂かれても、時おり後ろを振り返っては、見えぬ追っ手を気かける。
とにかく少しでもあの屋敷から遠くへ。少しでも、古城へ戻る方向へ。
言い様の無い恐怖、レイノに見詰められる度に感じる背筋を這い登って来るような悪寒から逃れるように、ただひたすら必死で足を動かす。

あの古城の塔の一室に軟禁されていた時は、ずっと外に出たいと...、塔から出て自由になりたいと願っていたはずなのに、今自ら古城へ、レンの元へと戻ろうとしているなんて、なんて皮肉なことだろう。

「はぁっ、はぁっ、は......。もう、だめ。少し休憩......」

どれほど走り続けただろうか。さすがに息が切れたキョーコは、近くの大木に背を預け、一休みすることにした。ほうっと深い息を吐くと、キョーコは木々の合間から見える夜空を眺める。

「そう言えば、レン兄さまが、近々正妃を迎えるって......」

レイノの言葉を思い出したキョーコの呟きが、静寂の中に響いた。
分かっていたはず。いずれそうなると。
それが国王となった者の勤めでもあるのだから...。
でも、そうなったら自分はどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。
レンの政敵に利用されまいと、無我夢中で逃げ出して来てしまったけど、果たしてこのままレンの元に戻っていいものか。
自分の存在は、レンの妨げになるのでは無いか......。
そんな不安がキョーコの胸中を駆け巡る。

レンはキョーコを抱く度に必ず愛していると囁いてくれる。
どこにもやらない、自分だけのモノだ、ずっと傍にいろと。
でも、閨での睦言のどれだけを信じていいものだろう。キョーコは自信が無かった。

生母の身分が低かったためだけに、レンが幼少時代からどれだけ蔑まれ、辛辣な思いをして来たか知っている。キョーコの母王妃にどれだけ疎まれていたかも。
『あの惨事』で、レンは一顧だにせず、母王妃を始めとする他兄姉妹達を剣の露とした。 実際に手を下したとはレンの配下の者達らしいが、命乞いも何もかも、一切レンは耳を貸さなかったらしい。
なのに、キョーコだけ生かして置いたのは何故か。レンとは両極端の産まれのキョーコを。 キョーコを生かし、その身を蹂躙することで、長年の憤りを晴らしているのだろうか。
何も知らされてないキョーコの思考は、長いことレンに無視されていた期間も相まり、どうしても悪い方へと向かってしまう。

それでもいい。レンが今までに受けた痛みの償いが少なからず出来るのなら、この身をどうされようと......。

そう納得していたつもりだった。

そして、レンが正妃を迎えることになったら、キョーコはそんなレンから少しだけでも解放されるかも知れない、そんな風に考えていたこともあった。

しかし、今は......

『......キョーコ』

あの声を、あの腕の中の温もりを、あの翠の輪で縁取られた熱の籠った碧い眼差しを、自分以外の誰かに向けられるなんて、そんなことは堪えられない、許せない!

まだ見ぬレンの相手に嫉妬してしまう自分がいる。
ギュッと自分を抱きしめ、キョーコは小刻みに震えながら下唇を噛んだ。
ほろり、と我知らず涙が頬を伝う。

「レン兄さま......。会いたい......。お願い、助けて......」

暗闇の中に、キョーコの啜り泣きが響く。
木々の合間から差し込む月明かりも、星明かりも、彼女の心細さを、切なさを、埋めることは出来ない。

ザワッ

急に森の雰囲気が、吹く風の向きが変わったような気がして、キョーコは泣き止み、顔を上げた。瞬間、ゾクッと悪寒が走る。

(あ......、あ......、この感覚......!!)

無意識にガクガクと身体が震える。
震える己の身体を叱咤し、立ち上がったキョーコの目の前に、黒い影が覆い被さった。

「ヒッ。キャァーーーッッ」

逃げる間も無くすぐさま両手を捕えられ、背後の大木に押し付けられる。

「...どうした...? もう逃亡は終わりか......? もっとボロボロになるまで追い回してから喰らい付きたかったのに......」


見上げた先にあるのは、暗闇の中に不気味に浮かび上がる紫の双眸。不敵な笑みを浮かべたヴィーグール侯爵子息、レイノだった。





And that's all......?



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markura
(November 23, 2009)


この度は、なんでレイノがこういう行動を取っているかのネタ明かし。
あくまで面白ければなんでもOKな歪んだ性格の御仁なので、レンの出生の秘密に気付いても、今まで自分だけに留めてました。ある意味律儀。でも、質の悪いストーカーであることに変わりありません。(レンのね)
		

[2009年 11月 23日]

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