第二夜

ピカッ ガラガラガラ ドーーーーーンッッ

重苦しい大気に稲妻が走り、雷鳴が轟く。

「結構近いな......」

すっかり夜の蚊帳に包まれた後宮の長い廊下を足早に進みながら、少年は呟いた。
人気の無い廊下にカツカツと靴音が響く。
湿気を吸い込み、纏わり付く金の髪をかき揚げ、翠がかった碧い双眸が暗い夜空に走る紫電を眺める。 嵐が近いのだろう。

「はぁ、すっかり遅くなってしまった」

一瞬女かと見紛うほど端麗な容姿をしているその少年は、一人歩き慣れた廊下を、自分に宛てがわれている奥の部屋へと急ぐ。じき12才になる彼は、騎士学校へ行かされる事が決まっていた。年の割には成長も早くすらりと背が高い。しかし、その顔は未だ思春期前の少年特有のあどけなさを残していた。

『よろしいですね、レン王子』

幼い頃から自分の教育係として付き添ってくれていたクー・ヒズリとの先程の会話を思い出す。

『御身が12になったら、かねてからの国王陛下のご命令通り、あなたは騎士学校へと進みます。その間、そちらの宿舎で過ごすことになりますから、身の周りの整理はなさっておいて下さい』

『ここから通う事は出来ないのか?異母兄上(あにうえ)達だって......』

『あの方々は、直接個人的な武官が付いて王宮内で手ほどきを受けました。ですが、恐れながら、あなたのお立場ではそれは出来ません』

『だったら!あなたが教えてくれればいいではないか。今までだって、身の処し方は教えてくれていただろう?』

『それは、最低限の護身術のようなものです。正式に騎士となるには、本格的な訓練を受けねばなりません。それに、王宮のような狭い世界に閉じ篭っているよりも、外で王族貴族以外の者達とも交わり、見聞を深める方が後々あなたの御ためですよ』


昔から、ヒズリの言う事は正しい。
そして、いつだってレンを影から支えてくれていた。
周りは全員敵とも言える王宮内で、唯一、嘘偽り無く誠意を持って接してくれる貴族がいるとしたら、それは彼しかいないだろう。その彼の助言となれば、否やは無い......はずだった。
元は王家に連なる由緒正しい旧家だったらしい彼の実家だが、その昔、当主である彼の父親が現国王に怖れなく忠言した為に、役職・領地の一部は没収、爵位も格下げられ、地方へ飛ばされたそうだ。10数年経った今もその風当たりは厳しく、有能なヒズリでさえその息子というだけで下位官止まり。王位とは縁遠い第三王子である自分の教育係などをさせられているのだから、酷いものだ。

王宮を去ること自体に未練などない。
己の欲ばかりで自分には全く関心を持たぬ父王にも、顔を合わせれば子供じみた苛めや厭味を言うしか能の無い異母兄姉妹達にも、会えぬ方が清々する。
あるとすれば、それは......

レンは溜め息を吐きながら、キィと音を立ててゆっくりと自室の扉を開けた。
案の定、室内は小さな灯りが灯っている以外、真っ暗だ。
再び走った稲光が、王子の私室にしては閑散とした部屋の装飾を青白く浮かび上がらせる。 居間にあたる部屋を抜け、そのまま奥の寝室に続く扉を開けた。

「......ん?」

レンは薄暗闇の中で目を凝らす。
自分の寝台の上に、こんもりと盛り上がったシーツの塊。
それは、ぷるぷると小刻みに震えている。
次の瞬間、ドロドロと不気味な唸りと共に、ドオーーンと荒ましい音を立てて雷鳴が轟いた。

「キャッ」

白い塊の中から小さな悲鳴が上がり、啜り泣きが続く。

「......キョーコ?」

レンがそう問うと、ぴょこりとシーツの片隅から小さな顔が覗いた。

「......レン兄さま?」

涙に濡れたその顔はぐちゃぐちゃで、相変わらずぷるぷると震える様は臆病な小鳥のようだ。

「......何してるの?僕の部屋で」

「お、おっきな雷がたくさん鳴ってるから!お、お兄様が怖くて泣いてるんじゃないかと思って!」

...怖くて泣いてるのは君の方だろう、と心の中で呆れながらも、寝台の端に腰掛ける。泣いてる少女の頭を優しく撫でながらレンは問うた。

「僕の部屋にまた一人で潜り込んで......。バレたら君だって無事じゃ済まないだろう?」

「だ、大丈夫だもん!母様も乳母も、夜は誰もキョーコの部屋に来ないもん!」

黒目がちの大きな瞳に溢れんばかりの涙を溜めて、キョーコはそう答える。
嫡出の第五王女として、日中は幾多の教育係に教養を教え込まれていても、夜になるとキョーコの周りはまるで潮が引いたように人気が無くなる。
レンは、やれやれと苦笑を浮かべると、着替えるために腰を上げた。

「に、兄さま?どこ行くの?」

キョーコは慌ててきゅっとレンのチュニックの端を両手で掴んだ。

「また勝手にお部屋に入ったから怒ってるの?」

涙で潤んだ黒い瞳が、レンの瞳を覗き込む。その不安げな様子に、レンは思わずフッと口元を緩めた。

「怒ってなんかいないよ。寝間着に着替えるだけ。言っとくけど、バレて困るのは僕も同じなんだからね。朝になったら、すぐちゃんと自分の部屋に戻るんだよ?」

翠がかったレンの碧い瞳が、穏やかな翠の輪で縁取られた澄んだ碧い瞳に変わる。
それを認めてキョーコはほっとした。

レンは普段から特に感情を表に出すことが無く、温和な仮面で自分を守る。でもその反面、心の内側には激しい気性を秘めていた。おそらく、後宮、王宮内での余計な争いを避けるために自ずと培った処世術だろう。いつも穏やかに、そして上手に笑う。

幼いキョーコだけは、表面上はそう変わらないレンの心の機微を敏感に感じ取ることが出来た。特に瞳の色だけは感情をごまかし切れないようで、怒っている時は刺すように冷たい青色になり、心穏やかな時、または愛しい者といる時のみ、碧い瞳の周りに翠の輪が現れる。それは、レンが心を許している証し。
キョーコはこの綺麗なレンの瞳が大好きだった。

「うん!朝になったら、もうゴロゴロ怖く無いものね。兄さま、一人でも大丈夫だものね!」

...だから、怖いのは僕じゃないだろう、と分かっていても、まだ少し不安気な瞳で自分を見上げる妹姫が健気で、微笑むだけに留める。寝間着に着替えて寝台に入ると、待っていたかのように、ぴたっと縋り付いて来た。

「......あんまりくっ付かれると苦しいんだけど......」

「だって、傍にいないと、ドーーーンって雷が落ちた時、兄さま怖いでしょ?こうしてたら、怖く無いでしょ?」

「はいはい、そうだね。...傍にいるから、早く寝なさい」

背後では相変わらずゴロゴロと雷鳴が轟き、時たま轟音を立てて雷が落ちる。
その度に、小さな姫はひしっとレンにしがみついた。

「兄さま、どこにも行かないでね?ずっとキョーコの傍にいてね?」

「......大丈夫だよ。ちゃんと傍にいるから」

小さな身体を抱きしめ、その背中を優しく擦っている内に、キョーコはやっと眠りに就いた。 その寝顔を眺めながら、レンは溜め息を吐く。

王宮を離れる事自体に未練は無い。
でも、この小さな妹姫をこの後宮に一人取り残すことだけは、戸惑われた。
この王宮で、唯一生まれや後ろ盾に拘らず、自分を自分と慕ってくれる妹。
たとえそれが、似たような境遇の者同士の傷の舐め合いだったとしても、レンにとってキョーコは大切な存在だった。
かといって、自分の力でどうこう出来るわけでもない。レンの騎士学校入学は既に定められたことなのだから。何も出来ない、何の影響力も無い、無力な自分。

(いつか。きっと、いつか.........)

眠っているキョーコの頬を撫でながら、少年は心の中で呟いた。


ドロドロドロ.........ピカッ ドーーーーーンッッ


響く雷鳴に、ふっとレンは目を覚ました。

(夢......か。随分と懐かしい頃の夢を見たものだ)

そのままむくりと起き上がり、傍の椅子にかけておいたガウンを羽織って窓辺へと近寄る。

(あれは、騎士学校入学直前か......。そう言えば、こんな雷雨の晩は、キョーコは必ず私の部屋に忍び込んで来たな......)

思い出し、フッと笑みを浮かべる。
まだお互い子供だった頃は、レンもキョーコも後宮内の部屋に住んでいた。
とは言っても、キョーコの部屋は中央にある王妃の間の傍の一室。レンの部屋は同じ後宮内でも、かなり奥の外れに位置していた。後宮の正妃と側室達の仲は良いと言うには程遠く、その関係はその子供達にまで及んでいた。特にレンは卑しい身分の母から産まれた王子だと風当たりが酷く、それ故にレンとキョーコがお互いに自由に行き来することもままならず……。
しかし、雷が大の苦手だったキョーコは、そういう晩は必ずと言っていいほど自分の部屋から抜け出してレンの部屋に潜り込み、レンが戻るまで震えていた。

レンに絶対の信頼と......無邪気な笑顔を惜しみなく向けていたあの頃のキョーコ。
その笑顔を見なくなったのは、いつの頃からか......。

真実を伝えぬまま今の関係を続けることがキョーコを苦しめていると、レンにも分かっていた。 しかし、全てを伝えてこの古城の塔からキョーコを解放するには、まだ機が熟していない。

秘密はどこから漏れるか分からない。

国内が未だ混乱している今、自分が前王の実子で無いことも、同様に紛れも無く前王の嫡出子であるキョーコが生き残っていることも、隠し通さねばならなかった。
キョーコ自身にそのような気は毛頭無くとも、彼女を担ぎ出して国政を握ろうという輩が出て来ないとも限らない。また、それを未然に防ぐために、キョーコの存在を知れば彼女を排除しようという者達も出て来るだろう。
レンはキョーコを護るためにも、彼女を外界から遮断して、一刻も早く王宮、国内を平定せねばならなかった。

「......あと、もう少し」

あの反乱時に打ち損じた前王の勢力の残党は、今のところなりを潜めている。
果たして、諦めたのか、機を伺っているのか......。

そっと少しだけカーテンを開けると、窓を叩き割らんばかりの雨脚だ。
この勢いならば、かねてより水不足で悩んでいた地にも、恵みの雨が降り注ぐだろう。

「......ん?」

叩き付ける雨の向こう側に広がる暗い夜の湖。
その更に向こうの森深くに、何やらちらちらと仄白く揺らめくものを見たような気がした。 しかし、それは気付いたと同じように、またふっと見えなくなる。

(気のせい......か?)

訝しく思いながらも、レンは気を取り直して寝台の方へと振り返った。
天蓋付きの大きな寝台の上にはぐっすりと眠る愛しい少女。
叩き付ける雨音と絶え間なく鳴り響く轟音にも関わらず、その艶やかな黒髪をシーツに広げて眠り続けている。
レンは窓辺から離れ、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てると、そのままするりとキョーコの横に滑り込んだ。片肘を立てて自分の頭を支えながら、睫毛一つ動かさずに眠り続けるキョーコを眺める。 こんなにも外が煩いというのに目が覚めぬ程、彼女を疲れさせたのは他でもない自分。
レンはくすりと笑みを浮かべると、彼女の長い黒髪を一房掬ってそっと口付けた。

何を引きかえにしても手に入れたかった存在。
昔から、大切で大切で愛しい存在だった。
「お兄様」と無邪気に慕って腕の中に飛び込んで来る少女を何度抱きしめたことだろう。
柔らかな長い髪に指を差し入れながら、その暖かさを、その甘い香りを、その存在を...... いつしか『妹』でなく、一人の『女』として愛していると気付いたのはいつからか。
それ故に悩み、距離を置こうとしたこともあった。
それ故に自暴自棄になったことも......。
ヒズリが真実を打ち明けてくれなければ、今でも血の繋がりのある兄妹だと信じたままだったろう。
身動き出来ぬまま壊れ果て、ただ枯れて消えるのを待っていただろうか。
それとも......

ピカッと白光が閃き、レンの横の少女の姿を浮かび上がらせる。
まだあどけなさを残す整った横顔に、剥き出しの白磁の肩。シーツの下に隠れる華奢な身体がどれだけ瑞々しく、しっとりと自分の肌に馴染むか......、レンだけが知っている。レンは自嘲気味にフッと口端を上げた。

...いや、おそらく、背徳行為だと分かっていてもキョーコを我が物にしてしまっただろう。

レンはキョーコの柔らかな頬を撫でると、薄紅色の唇に口付けた。そして、まだ成長途中である控えめな、しかし、ここ数ヶ月で随分と質感の増した膨らみを包み込むと弧を描くように愛撫する。

「ぅん......」

僅かに反応し、薄く開いた口から、レンは遠慮なく己が舌を差し込んだ。そのまま絡めて、吸い上げる。

「 、はぁ......」

キョーコが薄らと目を開けた。息苦しさからか、見上げるその瞳は潤んでいる。

「......レン兄さま?」

「キョーコ......」

妖しく光る碧い瞳。情欲の燻る翠の輪の現れた双の輝きは、その視線だけでキョーコを絡めとる。

「に、兄さま、何を......。さっきあれだけ......あぁんっ」

キョーコはフルフルと首を振って抗うが、先ほどの情事の名残りか、彼女の身体はレンからの僅かな愛撫であっさりと自分を裏切り容易く熱を帯び始める。

「愚問だな......。今更何をするかなど、決まっているだろう......?」

「、んっ...駄、目――......!...こんな...こんなことっ......もう......」

「ほら......もうこんなになってる。駄目だというのはその可愛らしい口だけだね...。嘘つきな口は塞いでしまおうね......」

レンはふわりとキョーコに覆い被さった。何度目かの稲光が、二人だけの空間を浮かび上がらせる。キョーコの視界にくっきりと映る逞しい肩のラインと凄艶な面差し。それが近付き、深く口付けられて舌を差し込まれた。

「......こんな夜、昔は自分から私にしがみついてきたくせに」

可愛かったな......と、キスの合間に囁いては淫猥な笑みを浮かべる。レンはキョーコの片方の膝を強く引き上げ、自分の身体を割り込ませた。彼の熱い肌とキョーコの滑らかな肌が密に絡み合う。

「私の姫......」

その熱い囁きが耳に届く頃、キョーコは自分が自分で無くなる甘美な嵐の中へと再び投げ出されたのを知った......。

翌朝、激しかった雷は収まり、しとしとと小雨が降り注ぐ。
レンは素早く身支度を調えると、すっかり疲れ果てて眠り込んでいるキョーコの額に優しく口付けを落として塔の部屋から出た。いつもの通り愛馬に股がると、昨晩の暴風雨のせいでぬかるんだ足場に気を払いつつ王宮へと急ぐ。

……だからこそ、レンは気付かなかった。
レンが古城から出てきたその姿を、こっそりと垣間見ていた存在がいたことに。


Clip by トリスの市場



「......やはり、あれは新国王のレンだな。武力でもって他の王位継承者達を一掃し、血塗られた玉座に座ったほどの男が、わざわざ供も付けずに人目を盗んでこんな古城くんだりに足繁く通っているとはどういうことか」

木々の影から様子を伺っていたのは、長身の男二人。
二人ともフード付きのマントをすっぽり纏っているので影になった顔は見えない。

「......おそらく、国王にとって弱みとなり得る者が、ここで囲われているのだろう。......誰だかおおよその見当は付くが」

ククク...とほくそ笑み、男は湖の畔にそびえる古城を見上げた。その勢いでぱさりとフードが肩にずれ落ちる。肩までの灰銀色の髪と妖し気な光を称えた紫の瞳。そして、その右目元の泣きぼくろが露になった。

「さて......。これからやっと面白くなりそうだな」

古城の最上階の塔の窓に視線を向けたまま、泣きぼくろの男はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
雷はどこか遠くに移っていたが、未だ暗雲は立ち込め陽は陰ったまま......。




And that's all......?



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markura
(September 29, 2009)


ちょっと人物像、並びに二人の幼少時代を掘り下げてみたら……、長くなっちゃったい。昔はとっても微笑ましい二人だったのよ?
…今もキョコ姫はレンのおかげで雷を怖がる間もありません。
さて、どうせ続くならと馬の骨も出演。はてさて、どうなるか……。
		

[2009年 9月 29日]

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