ひいぃぃぃぃぃっっっっ(ムンクの叫び)
俺はこの時ほど振り返った事を後悔した事は無い。
身の毛が総毛立つ恐ろしさとはこういう事を言うのだろう。
振り返った先に俺が目にしたのは、まさに
大魔王(敦賀蓮と書いてサタンと読む)
と呼ぶに相応しい存在だった。
ACT.144続き妄想:
ミッドバレンタイン・ストーム・2
体感気温ツンドラ気候の真っ直中、俺の頬の筋肉は一気にそのまま凍りついた。
ひしひしと身に染みるマジ怒りオーラ。蓮の無言の怒りは、殊更に気迫が......、いや、鬼迫と書くのが正しいか、がある。その怒りの矛先が(今のところ)俺に向いてないのがせめてもの救いだ。
先ほど垣間見た闇の本性(ACT144参照)の片鱗の比では無いぞ!
何をしてると言う訳でもなく、ただ静かに不破とキョーコちゃんが出て行った先を睨みつけているだけなのに、あの鋭い視線だけで人なんか簡単に殺せるんじゃないか?
今の蓮の睨みは、まさに見たもの全てを石化出来るメデューサの瞳。
俺なんか、直接睨まれた訳でもないのに、動けないよ。
それにしても、怒ってても絵になる奴だな(怖いけど)。
そういや、大魔王(サタン)って、元々は天使長だったルシファーが神に反逆し、堕天した成れの果てだっけ。それはそれは美しく、輝ける存在だった者は、闇に堕ちても変わらず人を惹き付けたことだろう。それこそ、囁き一つで闇に堕とせる程......。
...などと、感心してる場合ではない!
『敦賀蓮』のイメージは『春の日差しのような温和な紳士』!
そんな伝説のメデューサか華厳の滝のツララのような目つきのままじゃ職務妨害もいいところだ!
俺は慌てて首を左右に振って己を叱咤し、現状打破(早い話がなけなしのフォロー)するべく、口を開こうとした......のだが、
「ねえねえ、やっぱりあの二人ってつきあってるのかしら?」
...耳に入った聞き捨てならぬ言葉に動きが止まる。
大原さん!そんなの、キョーコちゃんに限って絶対ありえないですから!
「軽井沢で聞いた時はキョーコちゃん、断固否定してましたけど...。でも、物心つく頃から一緒に育ってる幼馴染なんですって!」
...は、百瀬さん。
キョーコちゃん、そこら辺はちゃんと説明したんだな。
「他人が入り込めぬ只ならぬ空気というものが二人の間にあると思ってましたが、そういう関係なんですね!」
...なぜか目をキラキラさせて嬉々とした反応をする緒方監督。
よ、余計なことを言わないで下さい!あなた方の会話が俺に聞こえるってことは、断定的に俺が今宥めようとしてる、この大魔王にも筒抜けということで......。
勿論、この三人だけに留まらず、そこかしこで似たような憶測が飛び交い、現場全体が騒然とした空気で満ちている。
なんと言っても、今では名実共に音楽界の寵児と称えられる不破ほどの男が、わざわざバレンタインのこの日にドデカイ花束持参で、全く無関係のダークムーンの撮影現場まで現れたとなれば、そのインパクトたるや以前の比では無い。深読みせずともその意図に気付くというものだ。
...尤も、キョーコちゃん自身がそれに気付いているかは別として。
そして、興奮状態の三人の会話はそのまま続く。
「わざわざバレンタインに花束を渡しに来るだなんて!絶対不破君の方はキョーコちゃんに気があるわよ!」
...と、大原さん。
「私もそう思います!不破さんって、軽井沢の時も色々とキョーコちゃんに心砕いていたし......。でも、なんでキョーコちゃんはあんなに不破さんを毛嫌いするんでしょうね?確か、敦賀さんのお誕生日を間違えたきっかけも、最新のタレント名鑑の表紙が、彼だったからじゃないですっけ?」
「そう言えば、そんなこともあったわね」
「へー。そんなことがあったんですか?でも、『ケンカする程仲が良い』とも言いますしね。京子さんも本心は憎からず思っているんじゃないでしょうか?」
などど、人畜無害な笑顔で緒方監督ってば、またしても余計な事を!
あなたはご自身が手掛けているダークムーンの撮影が滞ってもいいんですか?
このままでは、あなたの主演俳優が......。
「......社さん」
あまりにいつも通りの声色で呼ばれて、逆に身が竦む。
ゆっくりと振り返ると、先ほどまでの大魔王顔が嘘のように、穏やかな笑顔の蓮が、俺にそのまま話かける。
「俺、今の内に着替えに一旦楽屋に戻りますね。手早く終わらせて来ますので、社さんはどうぞこのままここにいて下さい」
淡々とそう告げるとそのまま楽屋の方へと向かって行く。
ちょ、ちょっと、蓮君?
先ほどの闇の国の蓮さんに居座られても困るけど、急に冷静に行動されても怖いんだけど?!
って言うより、気にならないのかよ、二人がどこに消えて何を話してるのか!!
君の脳内恋愛スイッチは一体どうなっているのかね?!
心の中で散々罵倒しつつ、蓮の後ろ姿を見送った俺だが、ふとあの二人が消えた方向へ視線を移す。
俺としては、どうしてもあの二人の会話の続きが気になるのだが......。
............。
..................。
........................。
ハッ。俺ってば、いつの間になぜこんな場所に?!
我に返った時、俺は機材が立ち並んだ物影に佇んでいた。俺の視線の先には、不破と、不破に背を向けたまま無言で立っているキョーコちゃん。うまい具合に俺からは二人がばっちり見えるが、二人からは死角になるだろう。
これは決して覗きではない!
『敦賀蓮』をマネージメントする大役を仰せつかっている俺には危機回避のために真実を...つまり、情報を詳しく知る義務がある!
担当俳優の(強いては俺自身の)心の平安のためっ。
これはあくまで仕事の一貫だっ。
そう、心の中で自己正当化しつつ、事の成り行きを見守っていると、キョーコちゃんがくるりと振り向いて不破に面と向かった。
「一体、何考えてるのよ、アンタは!公衆の面前であの事をバラそうとするなんて!」
手にしたままの花束をブンブンと振り回しながら、開口一番にキョーコちゃんが怒鳴りつけた。
...『あの事』って何?
「こらっ。折角やったブーケを振り回すな!花弁が散るだろうが」
「何よっ。欲しいだなんて一言も言ってないわよっ。返すから持って帰りなさいよっ」
そのまま不破に花束を押し付けるが、
「一旦受け取った物を返そうだなんて、まさかそんな礼儀知らずな事、お前がする訳ねーよなぁ?」
いかにも挑発するような不破の言葉に、キョーコちゃんがぐっと押し黙った。
キョーコちゃん!礼儀なんてこの際無視して、突っ返してやれ!...と俺は言いたい。
「詫びって言っただろ?...素直に受け取っとけ」
『詫び』だなんて言ってるけど、絶対本命チョコならぬ、本命ブーケだろ。
日本では、バレンタインと言えば女性から男性へチョコを贈る日、とこじつけられているが、元々海外ではそんな括りないらしいからな。
それどころか、男性の方が情熱的に花束やブーケを贈ったり、ロマンチック・ディナーを計画したり、果てはプロポーズに踏み切る場合もあると聞くぞ!
まさか、不破の奴、キョーコちゃんとのあまりに少ない接点に焦れて、勝負に出る気か?!
「まあ、確かに花自体に罪はないけど」
ブツブツと呟きつつブーケに視線を移す。
「......そういえば、花束なんて誕生日に頂いたの以来だな〜」
その時のことを思い出したのだろう、今まで仏頂面だったキョーコちゃんが、ブーケを見詰めたまま、くすぐったそうに、でも嬉しそうに、ふわっと微笑んだ。
「......誕生日?」
その言葉に、ぴくりと不破が反応する。
「そうなの!12月24日にハッピー・グレイトフル パーティーを開いたんだけどね。
まさか日付が変わったと同時に、あんなに沢山の方々に誕生日を祝って貰えるなんて思わなかったなぁ。
初めてだったもの。ちゃんと25日のその日に誕生日を祝って貰ったのも、プレゼントを頂いたのも」
夢見るような眼差しのまま、キョーコちゃんの視線が空を彷徨う。
きっとあの誕生日の感動を思い出しているのだろう。
一方、不破は憮然とした表情でキョーコちゃんを眺めている。
「敦賀さんなんか、日付が変わったと同時にお祝いの言葉と共にプレゼントまで下さって...。
当日に祝って貰える喜びと、くすぐったさを教えて頂いたのに......、
だからこそ、敦賀さんのお誕生日には、同じくらい喜んでもらえるよう、一生懸命選んで、その日にちゃんと贈るつもりだったのにーー!」
それまでキョーコちゃんを包んでいたしっとりとした和やかな雰囲気が一変し、代わりにドロドロとお化け屋敷顔負けの空気が流れる。
「それも、これも、全部アンタのせいよ!」
びしっとキョーコちゃんが不破を指差した。
ブーケを振り回すのは止めたらしい。
「俺が何したってんだよ!」
「アンタが最新のタレント名鑑の表紙を飾ってたりしたからーーっっ。
おかげで、誤植した古いのを手に取ってしまったじゃない!
そのせいで敦賀さんのお誕生日の日付を勘違いしてしまったのよ!
お誕生日プレゼントを今日までお待たせするだなんて、大変な不義理を犯してしまったんだからぁっっ」
「そんなの俺のせいじゃねーー!!」
必死で弁解する(まあ、当然と言えば、当然だろう)不破に向かって何やらどす黒いものが放たれた、ような気がした。不破の「うわぁーーっっ。また、あの超常現象?!う、動けんっ」と、まるで何かにかんじ絡めにされてるかのような呻き声が響いて来るが......。
そんなことより、キョーコちゃん!俺は信じていたよっ。
やっぱり蓮の誕生日プレゼントは随分と気合い入れて用意してくれていたんだねっ。
これで、ちゃんと、バレンタインチョコも用意してくれてたら文句無いのに……。
本命チョコとまで、贅沢は言わないからさー。
ふと気付くと、さっきまでの勢いはどうしたのか、「ちゃんと当日にお渡ししたかったのに......」と、急に涙目になってキョーコちゃんが不破を睨んでいた。
そんなキョーコちゃんを睨み返しながら、喉元を押さえ、ぜーぜーはーはーと乱れた息を調えていた不破は、
「......おい、そこの色恋しか頭に無い、バカでつまらねー尻軽女っ」
とてもじゃないけど、キョーコちゃんには似つかわしく無い暴言をのたまった。
「な、なん......」
「そこまで敦賀蓮を気遣うくせに、なんだってビーグルの駄犬野郎なんかに手作りのバレンタインチョコなんぞを贈ったんだよっっ」
な、なんですとーーーー!!??
そ、そんな馬鹿な。あの『憎』銘打ちチョコ、不破宛じゃ無かったのか?!
ビーグルってVG(ヴィーグール)の事だよな?
よりによって、軽井沢騒動での諸悪の根源、VGにあげたって?!
ま、不味いよ、キョーコちゃん。
こんな事、蓮に知れたら......。
「ふ〜ん。それはどういうことなのか、ぜひ俺も知りたいな」
再びヒートアップしつつある二人の言い争いを突如遮った静かな声。
こ、この聞き覚えある声は!
ズボンのポケットに両手を入れたまま、二人の前に優雅に現れたのは、俺の担当俳優だった。
真打ち登場?(August 15, 2009)