虜掌編 〜とある女官の独り言〜



「んっ‥‥ふ‥‥っ」

今宵も静寂な夜に、艶やかで高いかの姫の歌声が響きます。

「あんっ‥‥やっ。だ、めぇ、ぁんっ、に、様‥‥!」

…陛下も若いですね。
姫君をこの古城の塔に移してから、三日と空けずに訪れるのですから。
言葉では言い表せられない程ご多忙な身であるのにも関わらず...です。
それだけで陛下のご執心の程が伺えるでしょう。

この、王都からも王宮からも離れた場所にひっそりとそびえ立つ古城には、時折吹く風に木の葉のこすれる音以外は静寂の中。
そんな静けさの中、時たま風に乗って聞こえるあえかな声は、否定の中にも甘さを含み、陛下の熱情と執着の程が推し量れます。



前王の第三王子であられたレン様が、王宮を制し、政権を手に入れたと同時に、一人の姫をこの古城の塔に匿いました。

前王の正嫡の第五王女......キョーコ姫、です。

レン様には長くお仕えしておりますが、かの方があのように情熱的であったとは、初めて知りました。

レン様は、絶世の美女であられたというお母君に似て、王侯貴族の中でも際立ってお美しく、一見女性に見紛うほどの秀麗な容姿に、見つめられると吸い込まれて溺れてしまいそうな程深く、翠がかった神秘的な碧い瞳をしていらっしゃいます。
少年の頃はまだ穏やかな光を称えていたその瞳も、歳を追うごとに冷たく、氷のように鋭利になり、いつのまにかその瞳から熱は失われてしまったのかのように思えました。

前王の悪政で、多くの民が貧困を強いられ、私腹を肥やす王侯貴族がはびこる中、着々と力を付けながらもレン様の碧い瞳は、凍り付いて行ったのでございます。
レン様のその瞳同様に、表情も唇も凍ってしまわれたかの如く、次第に無表情になり、口数も少なくなってしまわれました。

わたしと夫は、元々レン様の教育係を担っておられたクー・ヒズリ様の御生家であられるタカ・ラダ公爵家(当時は伯爵家に降格されておりました)のつてで王宮勤めをするようになりました。
わたしがお仕えし始めた頃は、まだレン様は騎士学校へ行かれる前で、王宮内で過ごされておいでだったのです。
その頃のレン様の瞳は、ここまで凍り付いてはいらっしゃらなかったと思います。
末姫のキョーコ様とは、それはそれは仲睦まじく、表立って仲良くはしておられませんでしたが、それでも人知れず逢瀬を繰り返していたようです。
尤も、その頃は仲の良いご兄妹としか思っておりませんでした。

ですが、騎士学校へ進まれた頃より、王宮でよりも外でお過ごしになる事が多くなり、比例してわたしども王宮勤めの者達とも必要最低限の言葉しか下さらないようになりました。
常に傍近く使えておられたクー・ヒズリ様に対しても......です。

初めの数年はそれでも休みの度に足繁くお戻り下さっていたのですが、レン様が16才を過ぎた頃でございましょうか、めっきりとその回数は減り、出席せねばならない公式行事以外、足を運ぶ事は無くなりました。
たった一人、心を開いていたはずの妹姫とのキョーコ様とすら滅多にお話しにならず、キョーコ姫は、それはそれは寂しそうにしてらっしゃいました。
それでも、キョーコ姫は諦め切れなかったのでしょう。
レン様が王宮にお戻りになってると知ると真っ先にご挨拶に行かれました。
その度に素気無くされ、大きな瞳に涙を一杯溜め、それでも泣くまいと必死に堪えつつお部屋に戻る様を何度もお見掛けしたものです。

そうしてる間にも、レン様はどんどん腕を磨かれ、軍内部での位置を着々と確固たるものにしていかれました。
あらゆる争乱、隣国との小競り合いなども見事な手腕で収められ、時には冷酷に徹するレン様を『氷の王子』などと呼ばれるようになったのもその頃からでございましょう。
わたしのような古参な使用人は、レン様がこのまま凍りついて壊れてしまわれるのではないかと心配で仕方がありませんでした。

そして、運命の時は来ました。

老王のご崩御と共に、レン様は兵を上げられ、王国にはびこっていた膿みを一掃なさったのです。
レン様は新国王陛下として玉座にお就きになりました。
その際、王族の全ては粛正されたことになっております。

ただお一人......キョーコ姫を除いて。

わたしは夫と共に事前に古城へと移り、そこで匿われるレン様の大事な方をお世話するように......と言いつかっておりましたが、まさかそのお相手がキョーコ姫だとは思いも寄りませんでした。

あの血の粛清の最中、レン様の腹心の副官、ヤシロ様にこの古城へと連れて来られたキョーコ姫は、突然の展開で随分と混乱していらしたため、落ち着かせるためにお薬を処方し、お休み頂きました。
そのすぐ後駆け付けられたレン様は、薬で眠っておられるキョーコ姫を、それはそれは大事そうに見詰められ、その口元には優し気な微笑が浮かんでおりました。
それはもう、何年振りかに見た美しい微笑みでございました!
氷のように凍てついた冷たい碧い瞳から、穏やかな翠の輪に縁取られた熱を帯びた碧に......。

ああ、レン様は、陛下は、キョーコ様に素気無く振る舞いながらもずっと大事に思っていられたのだ...と理解した瞬間でございました。

これで兄妹仲良く...とわたしはほっとしてその場を下がったのでございます。


その晩のことです。
風に乗って、あえかな声が聞こえて参りました。
それは、時には啜り泣きにも、歓喜の声にも聞こえ......。
耳を澄ますだけで頬が染まりそうな程の艶めいた声でございました。
そして、それはキョーコ姫のおられるはずの寝室から絶え間なく響き続けて来たのでございます。
それも一晩中......。

わたしたちが、眠っているキョーコ姫のお傍を辞した頃、部屋に残っておられたのはレン様だけのはずでございました。
ですから、わたしはその時頭を過った疑念を振り払い、そのまま眠りに就いたのでございます。


その声の主が真実キョーコ姫であり、お二人は実は血の繋がったご兄妹では無かったと知ったのはその翌朝。
キョーコ姫のお世話をしようとお部屋に向かった時のことでございました。

お部屋の外で控えてらした、些か紅潮気味のヤシロ様に引き止められ、説明を受けたのでございます。

事の真相に、それはそれは驚愕しましたが...同時に納得も致しました。
レン様のお心にはずっとキョーコ姫が住んでいらしたのでしょう。
それはもう、他の誰も入り込む余地も無いくらいに。
そして、かの姫だけが、レン様の凍ったお心を溶かし、瞳を情熱に彩らせるに違いありません。

結局お二方は三日三晩お部屋にお籠りになりました。

陛下がお越しになる度に、キョーコ様の翌日のお身体の具合が心配にはなりますが......、キョーコ姫によってもたらされたレン様の変化はとても喜ばしいことであります。
この調子で一刻も早く御子をこの手に抱く日が来る事をわたしどもは願っているのでございます。



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古城でキョーコのお世話をしてる老夫婦の片割れ、古参の女官視点の小話。
己の欲望のストッパーが壊れたレン王が幼気なキョコ姫を三日三晩拘束していたことが判明。

拍手掲載日[2010年 6月 1日]

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