脇役ジレンマ

バッチーーーンッッ

「い、いきなり何するのよーーーーっっ」



小気味いい平手打ちの音と共に、ここに一人の少女の絶叫が人気の無い杜の小道に木霊した。


キョーコは思い切り後悔していた。
目の前には文字通りの「美少年」。身体のどのパーツをとっても完璧な男が座っている。
光沢を帯びた黒い髪はさらさらで、見開いた瞳は黒曜石の輝き。
すらりと延びた四肢に、程よく筋肉の付いた鍛え抜かれた肉体であることは、計らずも先程抱きしめられた時に気付いてしまった。

「...っ痛。気の強い娘だな。もしかして、初めてだったのか?」

目前の美少年は、叩かれた頬をさすりながらそう聞いた。
未だ叩いたポーズのまま、ブルブルと怒りに震えているキョーコのことなどお構い無しだ。

こんなことなら、少年が気を失っている内にさっさと捨て置いて家に帰れば良かったと後悔するも、最早先に立たず。

(な、なんで今日に限ってこの道を通ったのよ! 私のバカバカバカーー!!)

内心、どんなに叫んでも、その問いに答える者などどこにもいない。


**


異世界トリップ、召還もの......。
魔王や魔物。見目麗しい王子様にお姫様。
伝説の剣を振るう屈強な騎士や世界を救うべく立ち上がった勇猛果敢な戦士。
自在に精霊や魔法を操る巫女や魔術師。
何の変哲も無く暮らしていた普通で平凡な主人公が、ある日突然異世界に迷い込み、己の宿命を模索しつつ、出会った理解者、協力者達と共に冒険するうちに恋なんて芽生えちゃったり―――――なんてのは、もはやファンタジーの王道である。  

そんな心躍るお話なら沢山読んだ。

時には主人公に感情移入して手に汗を握り、時には健気な脇役のサポートに感嘆して。
「ああ、もし私だったらーー」と、主人公、もしくはその脇役の立場に置き換えて妄想したのも一度や二度じゃない。
そう、キョーコは自他ともに認める大のファンタジー好き。
ファンタジーと名の付く物ならば、いや、たとえそうでなくても魔法や妖精やお姫様や騎士が絡む物語ならば、同年代の者達から「なんでそこまで」と飽きられるくらい片っ端から読み漁った。
だから、そっちの知識に関しては、かなり博識だと自負していたと言えよう。
しかし、それはあくまでも架空世界への憧れ。
現実に起きたらどうするか......などと考えていたわけではないのだ。

「やっぱり、ファンタジーは現実には起こらないからこそ、ファンタジーなのよね...」

はふぅ、と溜め息を吐きつつ、キョーコは叩かれてなお、にこにこと笑みを浮かべたまま座っている目の前の少年を睨みつけた。

――――――さて、どうすべきか。

そう、目の前にいる少年は、まさによくある異世界トリップ小説の如く、突然キョーコの前に現れたのだ。
今日も今日とて、図書館に入ったばかりの小説を借り込み、さあ、家に帰って読書タイムだ!と意気揚々、スキップ踏みつつ、帰路についたなんの変哲も無い放課後。
図書館からの帰り道にある公園の杜の古道を歩いていた時のことだった。
些か遠回りにはなるものの、人気が少なく、自然と緑の多いこの古道はキョーコのお気に入りの帰宅ルートで、日没前の今の時刻は殊更に美しい。
そう思って、特に何も考えずにこのルートを選んだのだが。
その誰もいない場所に突如まばゆい光の玉がキョーコの頭上に現れたと思ったら、中には少年。
まるでその少年を守るかのように輝いていた玉は、ふわりと降下して少年を地上に置くと、そのまま跡形も無く消えたのだ。

その少年が降りて来る様は、まるでスローモーションのようだった。

横たわる少年は、キョーコと同じか少し上くらい。つまりは、推定年齢16, 7才。
さらっさらの黒髪に、閉じられた瞳が何色かは分からないけれど、どちらかというと欧米系の綺麗な顔立ち。すらりと延びた四肢を中世ヨーロッパの騎士のような黒衣の衣装に身を包み、帯剣はしてないようだが、身に着けてる宝石の類いは本物っぽい。

「まるで目覚めのキスを待っている眠れる森の美女......(いや、美少年か)」

ほう、と感嘆の溜め息を零してしまう程の秀麗さ。
しかし、次の瞬間、キョーコははっと我に返り、未だ目覚めぬ少年の傍で、頭を抱えて座り込んだのだ。

「それで、私にどうしろというの? 一体......」

暫くして目を覚ました少年の瞳は黒曜石のような黒。
光の加減で翠にも見えるその眼差しは、キョーコを捕えるとしばし訝し気に眉根を寄せ、

「xxlxkpwzp?」

ある意味セオリー通りの意味の為さぬ言葉を発した。

......何語ですか?とその疑問をありありと顔に出していたのだろう。
少年はその後、幾つか違う言語を試していたようだが、どれもキョーコに馴染みは無い。
断っておくが、キョーコはこの歳にしてはかなりの博識だ。
お世話になってる旅館の女将の考慮もあり、英語は勿論、韓国語に中国語、更には数種の欧州語も齧っている。特に英語は原書をそのまま読める程の域だ。
その彼女の耳にとんと聞き覚えの無い言葉なのだから......

(う〜ん、この展開......。やはり異世界人?)

などととキョーコが思案にあぐねていると、少年はすっと身を起こして左腕をキョーコの後頭部に差し込み......

「―――――?!!!X X X X X!!」

いきなりキョーコの唇を奪ったのだ。
しかも、ただ唇に触れただけの可愛らしいものではない。
初めこそ優しく重ねられたそれは、すぐに強く押し付けられ、キョーコが呆然としている間に温かいものを唇を割って捻り込んだ。
口の中を遠慮なく這い回り始めたそれに息を奪われ、息苦しさに手近にあった少年の服を握れば、了解ととられたのか、殊更に強引に舌を絡めとられ、唇を甘噛みされ、なぞられて......。
意識さえ遠のき始めたところで、

「い、いきなり何するのよーーーーっっ」

叫んだと同時に、思いっ切りその頬を叩いてやった。
それこそ、無我夢中で。
叩かれた少年は、さすがにその衝撃にぱちくりとしていたが、特に気にするでも無く、キョーコのことを『気が強い』の一言で済ます始末。

「ひ、人のファーストキスを奪っておいて、開口一番がそれ?!」
「...あのままでは会話が成り立たなかったのだから、仕方ないでは無いか」

さして悪びれもせずに厚顔無知にそう宣う。

「あれ? そう言えば、言葉が......」
「君の体液から得た情報を元に、言語の言い回しを調整した。これで言葉が通じるだろう?」
「た、体液?! 確かに通じるようになったけどーーー!!」

言語調整とやらのために、乙女の純情を踏み躙られては、冗談では無い。
やはりファンタジーは、物語として読むからこそ面白いのだ。
とてもじゃないけど、これ以上巻き込まれるのはご免被りたい。

「じゃ、私はこれで......」

敵前逃亡。いや、触らぬ神に祟り無し...とそそくさとキョーコはその場を辞そうとしたのだが。

「で、ここはどこなのだろう?」

逃げようとしたキョーコの腕をむんずと捕まえ、輝くような紳士的笑顔を浮かべる少年にそう問われた。







「つまり、ここは、エルエム・イ王国では無い、と? では、エルエム・イ王国へ行くにはどうすれば...」

ここはアジア大陸の日本という島国だと答えると、案の上、聞き覚えの無い国名が出て来る。
同じ黒髪、黒い瞳とは言え、明らかに東洋人とは違う容姿。
しかも、そこはかとなく人を惹き付け、従わせるような威厳が漂う。
これは、もう決定的だ。

そんな彼から流暢な日本語が聞こえてくるのだから、これまでの一連の出来事を目の当たりにしてさえいなければ、見目麗しい日本人とのハーフかと思うところだろう。
いや、そう現実逃避したくなって来る。

「申し訳ないけど、多分無理。この世界にそんな名前の国はないし......。それに、今更ですけど、あなたのお名前なんですか? さすがに名前がないと呼び難いです」

キョーコは、端的にそう答える。

相手がまだ同年代の少年とは言え、初対面の不審人物である事には変わりない。
特にさっきいきなり唇を奪われたという事実が彼女の警戒心に拍車をかけていた。

「僕は、レン。レン・ツルガだ。君は?」

キョーコのぶっきらぼうな物言いにも、レンは気にする事無く、にこにことした笑顔を崩さない。

「私は、最上キョーコ。キョーコ・最上と言った方が分かる?」
「キョーコ、というのだな」
「...勝手に呼び捨てにしないで下さい。初対面なのだから、せめて『ちゃん』付けにして下さい」
「分かった。キョーコちゃん、だな」

照れもせずに『キョーコちゃん』と呼ぶ王子様然とした美貌の少年。
呼ばれた方がなんとも面映い。

「レンさん。やっぱりあなたはあれ? 王子様とかだったり?」

物語の王道っだったらそうかなーとばかりに聞いてみた一言に彼は驚愕する。

「おや? なぜ分かった?」

そこからかいつまんで聞くところによると、彼はそのエルエム・イ王国の第二王子で、父王と皇太子、ひいては国民のため、数人の腕の立つ騎士達と共に魔王の居城のある魔の森へ踏み込んだところだったのだそうだ。
突如魔物達に襲われ、無我夢中で防御したものの、目覚めたらここだったらしい。

やっぱり......。どうしてこうも王道過ぎるの?
魔王退治に向かっていた王子様ご一行。
その要たる王子様だけこの世界に飛ばされたようだ。
おそらく故意的に、魔力とは縁遠いこの世界へと、狡猾な魔王に飛ばされたに違いない。

物語の脇役でもいいからなってみたいーーなんて甘い事を思っていた自分を殴りたくなって来た。
突如異世界に飛ばされた主人公を導き、もしくは力になる。
そんな王道に沿った脇役を買って出るわけにはいかない。

キョーコは平凡な容姿で、勉強の方は日々の頑張りのおかげでそこそことは言え、何の才能もない17歳の高校生なのだ。幼い頃から親の都合で知り合いの旅館でお世話になっているような、肩身の狭い身の上。そんな自分に一体何ができるというのだろう。
確かにキョーコはファンタジーやおとぎ話が好きだが、余計なことに巻き込まれることは本意では無い。

キョーコはじぃっと少年を見詰めた。

「......レンさん」
「レンでいいよ」
「じゃあ、レン。お気付きかもしれませんが、ここはあなたのいた世界とは違います」
「そうらしいな」
「...この世界には、魔王もいなけば、魔法を使う習慣すらありません」
「...ほう? そういえば、随分と魔力の流れが弱いとは思っていたが......」
「は? 魔力の流れ? そんなのがあるんですか?」
「勿論、物事を実現させるには魔の力を集めてある方向へと促す。その方法が魔法」
「...電気みたいなものかしら」
「電気?」
「この世界のエネルギー源みたいなものです」

この世界では、魔王もいなければ魔法でさえ存在しない。
科学の発展と共にありとあらゆるものが発明されてはいるが、それらは得てして電力で動くわけで、今のところ世界を渡る方法などは開発されていない。
そこかしこに、戦争の危機はあれど、今現在の日本は至って平和だ。
世界は魔法や勇者を求めてなどいない。
それらをネタにしたファンタジー小説は大いに喜ばれてはいるけども。

さあ、当面どうしよう。
まあ、王道に沿った脇役であれば、どうにか元の世界に戻れる糸口を探すのを手伝うべきなんだろうけども。
自分一人では力になれそうもない。
とりあえず、行き先の無いレン少年と一緒に帰宅しよう。
お世話になってる旅館の女将と板長に状況を説明して、暫く宿を提供してもらえるよう、頼んでみるしかなさそうだった。

(う〜ん。ショーちゃんが見たら、即ライバル視しそうな容姿だから、ちょっと不味いかも)

旅館の跡取り息子で、一緒に育った幼馴染でもある尚のことを思い浮かべつつ、キョーコは溜め息を吐いた。

異世界トリップは、別世界へ迷い込むから良いのであって、日本は迷い込んでくるにはとんと向いてない世界である。
それが、魔王の狙いだったとしても。
魔力を持ってないはずのこちらの人間が、魔法溢れる異世界に迷い込むとなぜか常規を逸した力を秘めていたり...とか都合良い展開だったりするのだが、その逆はどうなのだろう。

(魔王退治に出かけるような王子様なら、やっぱりそれなりに剣技も体術も魔力もあるってことよねぇ。そんな人が、魔力なんかとんと無関係なこの世界に来ちゃったらどうなるんだろう......)

内心ブツブツと思案しながら、キョーコは渋々レンを伴って帰路についた。




付いて行く後ろで、容姿端麗の美少年は、先程の爽やかな笑顔はどこへやら、にんまりとほくそ笑む。

魔力の無い世界。

どうやら、自分は無事世界を渡れたようだ。
ここならば、容易に元いた世界から探知される事もないだろう。

少年は、少年の世界から飛ばされた訳では無い。
少年自らが、その世界から逃げて来たのだ。

少年の本名はレンではない。レンとは仮の名。エルエム・イ王国の第二王子でもない。
その存在はいるが、憎むべき敵ーー自分を今の状況に貶めた憎き敵である。

少年がよく呼ばれた名前。それは『魔王』。
永遠ーー『久遠(クオン)』の名を冠する誇り高き魔族の王だった。
エルエム・イ王国の第二王子率いる勇者のパーティとの戦いで窮地に立たされ、今際の際で持ち得る魔力を注ぎ込んで元いた世界を脱出してきたのだ。
そんな力技が無事で済むわけが無く、内在していたほとんどの魔力が持ってかれたと同時に、自身の身体も逆行してしまった始末。
身に着けていた魔法石のおかげで、四肢を損傷して失われることが無かっただけ運が良かったと言うべきなのかも知れないが、どうやら髪と目の色も抜かれてしまったらしい。
この世界の原住民の色とさして変わらないようなので、かえって良かったと言うべきか。
無事到着した先で、目覚めた早々に原住民に会ってしまったのには焦ったが、どうやらこの世界の人間は魔力に馴染みはなくとも、理解はあるらしい。特に狼狽える事も無く、善意でみてくれた。
ーーー単純すぎて笑えるほどに。

まあ、言葉の疎通のために口移しで体液を採取したのは、不興を買ってしまったようだが、なんとでも言い逃れは出来る。

ーーー今までいた世界に未練など無い。
何も無い所から一から始めるのも、また一興。
魔力が底を付き、身体が少年に逆行したとは言え、容姿は勿論、身体能力と頭脳の方は健在だ。
まずは成長と共に力を蓄えるとするか。

さて、この世界の征服のいい足がかりとなる場所は何処だろう……。



夕焼けの中、少女の後ろに続く少年が浮かべる微笑は、ぞっとするほど美しかった。




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脇役ジレンマ

ククク。まずは手始めに目の前の少女から……。2010/06/01

ファンタジー好きの平凡女子高生を満喫していたキョコたんの元に、突如異世界トリップして来た王子様然の美少年レン。実は必死で異世界渡りして来た腹黒魔王様♪
レン様は魔力が低下してるので、推定年齢16~17才の黒髪黒目の仮の姿です。
魔力が戻ると金髪翠眼で20~21才の青年姿。
世界征服の足がかりとして、キョーコや尚すら巻き込んで、まずは芸能界制覇ーー!なんて展開になったりして。
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