Cの喜劇


「おいっ。一体何を呑気に構えているんだ、お前はっっ。ちゃんと現状を把握しているのか?!」

人気の無くなったホテルの裏庭に面した廊下。日中ならば、そのガラス張りの壁からさんさんと陽の光が入り、美しく広がるホテルご自慢の庭園が望めるところだが、既に夜の帳に覆われたこの時間では、イルミネーションに浮かび上がる噴水が見えるのみ。
その閑散とした廊下に、深刻そうに話し合う男が二人。
一人は眼鏡にスーツと一見知的な印象を与える男。
もう一人は立っているだけで人を惹き付けて離さない魅力と美貌を携えた長身の男。

眼鏡の男は、一応声を押さえながらも、苛立った様子を隠さずに目前の男を問い詰めていた。

「分かっているのか、蓮?!この中国現地ロケが終わるまでの3日以内に、なんとか元に戻る方法を見付けなきゃいけないんだぞ?!」

「......そう声を荒げなくても、重々身に染みて分かっていますよ、社さん」

蓮と呼ばれた男は、焦った様子の社とは対照的に、溜め息を吐きながら淡々と答えた。

「そ、...うだよな。当事者はお前だもんなぁ。悪かったよ。後3日で帰国だと言うのに、なんか焦った様子も見受けられないから、つい余計な事を言ってしまった」

心底気不味そうにそう返す己のマネージャーの様子に、蓮は些か罪悪感を覚える。
必死になって現状打破に取り組んでないのは事実であるからだ。

「まあ、残る3日、この地域の天気予報は快晴だ!降水率は5%!
水辺での撮影はもう無いし、しっかり身の振り方に気を付けていさえすれば、人前で水を被るような目には遭わんだろう!」

後はどうにか元に戻る方法を......などと我がごとのように親身になって心配してくれる社にまったくもって頭が下がる。

そう、今の蓮に、《水を被る事》はタブーなのだ。
水に浸かったり、頭から被ったりすると自分の意志に関係なく、身体が変化してしまう。
そして、逆にお湯に浸かると元の姿に戻るのだ。


『今のおまえにゃ、《水も滴るいい男》は無縁だなぁ。あっはっは』


というのが報告時の社長の言葉。
精々気ぃ付けな〜と、特に慌てるでもなく、同情するでも無く、どちらかと言うと、事の成り行きを面白がっている様子。


新開監督の新しい映画作成のため、主演の蓮、そしてキョーコ含むその他の出演者達は10日程前から中国奥地での野外ロケに挑んでいた。
海外現地ロケなど初めてのキョーコは、真新しい物を見る度に一々感激して、蓮は勿論、周りの者達の笑顔を誘う。
蓮としても、折角普段の環境から離れた場所にいるのだから、このTPOを利用してどうにかキョーコに接近したいところ(社の煩い後押しもあることだし)。しかし、多忙なスケジュールが中々そんな機会さえ与えてくれない。

そんな中、休憩時にふと聞いたのだ。
このロケ地からさほど遠く無いところに、世に二つとない珍しい郷、1つ1つの泉には悲劇的伝説があるとかいう《呪泉郷》の存在を。《悲劇的伝説》というところが、些か気になるが、どことなくキョーコのストライクゾーンな気がする。ロケ期間半ばのオフにでも誘って...と思い立ち、社同伴とはなったが、レンタカーで遠出としゃれたこんだのだ。

それが、一昨日の事。
現代科学の進んだこのご時世。まさか訪れた先で我が身に《呪い》が振り掛かるなどとは露程も思わず。
いや、実際には降り掛かったと言うより、落とされたと言う方が正しいが...。


着いた場所は、その名の通り大小100以上の泉が湧いており、いくつかの泉には長い竹が立ててあった。
中国の奥地の山々に囲まれた辺境。こんな所では、とても観光客を引き寄せる事は難しいだろう。久し振りの観光客のためか、呪泉郷の専門ガイドが嬉々として3人の案内を買って出た。
キョーコは泉にまつわる一つ一つの伝説に、真剣に耳を傾ける。
蓮はと言えば、そんなキョーコのくるくる変わる表情を間近で見れるのが何よりも嬉しい。
『そんな些細でちっぽけな幸せに満足してないで、とっとと行動に移せーーーっっ』と後ろから社が念を送っているような気は大いにしたが、敢えて無視した。

一時、ちょっとお手洗いに......と、その場を離れたキョーコを待つ間、どこを見るでも無く、すぐ傍の泉にたたずんでいたら、

「キャァーーーvv。あなたもしかして、つるがれんアルか?!『ダークムーン』みてるアル!
ぜひ、さいんくださいアルよーーーーっっっ」

片言の日本語をしゃべりながら、黄色い歓声と共に、猛突進して来た娘がいた。おそらく、ガイドの娘か誰かだろう。咄嗟の事で、普段ならば蓮をそう言う類いの娘どもからガードする社もすぐには対応出来ず、また、蓮自身が足場の酷く悪かった場所に立っていたことも相まって、抱きつこうとする少女を除けた拍子に体勢を崩し、そのままドボンと勢い良く傍の泉に落ちてしまった。


「アイヤー。黒豚溺泉(ヘイトウェン・ニーチュアン)に落ちてしまった!」


ガイドがそう奇声を上げた。


「今から x千年前、黒い子豚が泉に落ちて溺れた悲劇的伝説があるアルよ!それ以来、その泉に溺れた者は皆、黒い子豚の姿になってしまう呪い的、泉!」

「れ、蓮---??」


社の目の前に、這々の体で泉から這い上がってきたのは、見覚えのある成人男子の姿ではなく、小さな黒い子豚だった。


その直後、ガイドが慌てて控え室から持って来た やかんたっぷりのお湯を蓮に注いでくれたので、キョーコが戻る前に元の姿に戻ることが出来たが、変身体質なのだけは定着してしまった。
帰国するまでに元に戻る方法を調べてくれ、と半ばガイドとその娘を脅す形で、結局その日はその場を後にした訳だが......、


「水に被る目になんて、普通に過ごしていたら早々遭うはず無いのに、なんだってこういう時に限って、水難が重なるんだろうなぁ」


遠い目をして、社が呟く。

そうなのだ。あの日から今日までの2日間。
なぜか、上からバケツの水が落ちて来たり、庭のスプリンクラーの水が急に乱射したり、水辺で足を滑らしたり......。

今のところ、その場を社以外の人間に見られていないのが唯一の救い。
蓮が黒い子豚の姿に変身する度、駆け足で大きなやかん一杯のお湯を調達せねばならない社としでは、一刻も早く問題解決して欲しいのだ。

「そういえば、お前、今朝も子豚の姿で俺の部屋に現れたよな?昨晩、別れた後にまた水難に遭ったのか?」
「ええ、まあ......」

歯切れ悪く、蓮が答える。

「もしかして、俺に気を使って、朝まで待ってくれたのか?状況が状況なんだから、別に夜中に起こしてくれても、構わなかったんだぞ?」

そう、社が話していると、


「Cちゃん? Cちゃ〜〜んっっ」


聞き覚えのある少女の声が、廊下に響き渡る。
二人が声のする方へ視線を向けると、寝間着の上にジャケットを羽織った姿のキョーコがぱたぱたとこちらに向かって来た。

「あれ?キョーコちゃん、こんな時間にどうしたの?探し物?」

社がそう聞くと、

「あ、社さんに敦賀さん!ちょっとCちゃん、探していて......」
「Cちゃん?って何?」

その質問に、社の斜め横の蓮の表情が一瞬強張った。

「こんぐらいの可愛い、黒い子豚なんです。昨晩、ホテルの中をうろうろ、おろおろ、してるのを見付けまして。フロントに持って行ったら、誰も心当たり無いって言うし、だったら日本に連れ帰ってもいいかなって、社長に直談判してみたんです」

「...黒い子豚?社長に了承って...」

「ええ。私の下宿先は、飲食店なんで動物は飼えないんですけど、もしかしたら社長のとこだったら引き取って頂けるかと思って......」

このまんまここに置いてきぼりにしたら、夕食のメニューにされそうで、怖いですし......というキョーコの言葉に心の中で同意しつつも、社はなんとなく事の展開に戸惑いを禁じ得ない。

「え〜と、で、その黒い子豚?Cちゃんって名付けたんだ?」

「ええ!《シンダー》のCちゃんです!」

「へ、へぇ〜〜」

「すすみたいに真っ黒な、綺麗な毛色の子豚なんですよ〜。本当は《シンデレラ》の《シンディ》になぞりたかったんですけど、男の子だったもので」

「男って、......確かめたんだ?」

「...え?ええ、まあ」

ちょっと引っくり返して......と言葉を濁しながらキョーコが答える。
その一言の後、ちらりと社が蓮に視線を向けると、さっと視線を外された。

「え〜と、それで今その子を探してるの?」

「ええ!昨晩、寂しがらないよう、抱いて寝たんですけどね。今朝起きた時はちゃんといたのに、戻って来たら部屋にいなかったので、またどっかで迷子になっているんじゃないかと......」

そう答える間も、キョーコはキョロキョロと辺りを見回す。
見掛けたら、教えて下さいーーっとの言葉と共に、キョーコは蓮達とは反対方向の廊下へと駆けて行った。


「......おい、蓮」

「さ〜て、と。夜も大分更けたし、明日も早いのでそろそろ失礼しますね」

キョーコの背中を見送っていた蓮は、くるりと社に顔を向けると、にーーっこりとそれはそれは綺麗な紳士笑顔でそう言った。

「そ、そうか。そうだよな。うん、明日も早いし。それじゃ、おやすみ、蓮」

質問を事前に遮られた社はやむなくそう答えると、蓮と別れて自身の部屋へと向かおうとした、

ところ、


ザッパーーンッッッ


自分達が立っていた場所の出口からすぐの裏庭の噴水から、見事な水しぶきが上がったのに気付き、振り返る。
後ろに立っていたはずの蓮の姿は跡形も無い。

(ま、まさか......)

たらりと流れる冷や汗。社は慌てて裏庭に面するガラス張りの壁に駆け寄った。

噴水の中からよっこらせ、とよじ登って来たのは黒い子豚に変身した蓮。

ぷるぷるぷるっと軽く身震いして水を弾くと、ブイブイブイっと、鼻歌でも歌っているような様子で、足取りも軽く、キョーコが消えた方向へと進んで行く。


「ちょっと待てーーーっっ」


時間も場所も気にせず、社が叫ぶ。
...人気の無い時間なのが幸いだ。


「お〜ま〜え〜〜!! 性懲りも無く、今晩もキョーコちゃんの寝床に潜り込む気かぁ?!」


**


後ろから響いて来る怒声に気付いたキョーコが振り向くと、

「そんなことは許さん!お兄さんは許しませんよっ」

と吠えながら猛然と追いかける社と、キョーコの元へと一目散に駆けて来る黒い子豚の姿がありましたとさ。








ーおまけー


「社さん!確かに見付けたら、教えて下さいとは頼みましたけど、追いかけ回して、だなんて言ってませんよ!」

人差し指を左右に振りながら、ぷんぷんとキョーコが社に抗議する。

子豚の蓮は、しっかりキョーコの腕の中。
ちゃっかり、パフン、と顔を胸元に押し付け、ご丁寧に怯えた振りしてプルプルと震えている。

「あ、いやね?キョーコちゃん、その子......」

「可哀想に、追いかけ回されて。こんなに怯えて......」

もう大丈夫だからね、と宥めるように、キョーコが子豚の鼻先にちゅっ、とキスを落とす。

黒子豚蓮のCちゃん
あゆち様より頂いた『(黒豚Cちゃん化してる)敦賀氏、キョーコちゃんからのfirst kissゲット☆でも、実際は鼻ちゅう(笑)』
初めからお読みになりたい方は画像をクリック!


「あーーーーっっっっ」


社が二人を指差しながら、大声を上げた。
キスされた(鼻端だが)子豚の瞳はキラキラ潤んでいる。

「......なんですか、社さん、大きな声で。しかも、指差して」

「もう知らない!勝手にしろぅっっ」

キョーコにとって訳の分からない言葉を残したまま、社は自室へと駆け戻った。

(......蓮の奴め。現状を楽しんでやがるな。もう、知らん!蓮が水難に遭おうが、子豚に変身しようが、無視してやるぅ!)


......目先の幸せに捕らわれて、大事な協力者を怒らせてしまった蓮だった。



FIN



拍手する

Cの喜劇

変な社さん……。Cちゃんにキスしただけで、なに驚いてるのかしら……。 2009/06/22

以前、甘今想最のともにょさんとこにあった子豚と戯れる?キョコたんイラスト、その記事の流れから派生した小話。知る人ぞ知る、懐かしのらん●1/2ネタさっ

inserted by FC2 system