それは堰を切ったように

Act147続き妄想




「ふう」

DM撮りも休憩に入ることになり、蓮は一旦一人で自分の楽屋へと戻った。
尚の突然の出現に、キョーコへの強奪キス。無理矢理のその行為が 明らかにキョーコ自身が望んだことでないのは まだ救いとは言え、蓮の腸は煮えくりかえっていた。

すれ違い際に見せた尚の不敵な笑みから、何を意図してあんな暴挙に出たのかははっきりしている。
ああすることで、キョーコの心に己を刻み付けさせ、自分のことだけを考えさせようとしたのだろう。

まるで、お気に入りのおもちゃを取り上げられまいとムキになってる子供のように。
されたキョーコがどれ程ショックを受けるか考慮に入れもしないで。
自分勝手なその行動に、嫉妬と共に怒りを感じる。

蓮は、ぎゅっと握り拳に力を入れた。

力ずくでどうこう出来るならば、自分だってとっくにしていた。軽井沢でのあの時に。
不破と比べて彼女の中の自分の存在があまりにちっぽけなのを目の当たりにさせられて、分かっていてもやるせなくて......。
悔しくて、不安で、どんな形でもいいから彼女に自分を刻み付けたかった。

それでも、なんとか思い留まったのは、思い留められたのは、咄嗟に見せた彼女の不安げな表情。

...軽蔑される

心を通わせぬまま無理強いしたら、彼女は嫌うどころか、軽蔑して心の中から蓮を排除してしまうだろう。
先輩面していた分、尚更に。

そんなことは堪えられない。

それに何よりも、キョーコの泣き顔などこれ以上見たく無かった。
初めて出会った幼い頃から、見慣れていたのは涙に濡れた彼女の顔。
母親の一言で大泣きし、『ショーちゃん』で笑顔になった小さな女の子。
その『ショーちゃん』さえ、彼女から笑顔を奪う存在に成り果てなのなら、自分だけは彼女の笑顔を守りたい、笑顔にする存在でありたい。

...そう己に律して来たはずなのに。

自分一人で楽屋にいると、先程の場面が頭の中で否応無しに再生されて蓮の怒りを煽る。
アレがキョーコにとって不可抗力で理不尽な出来事であったと、頭では理解している。
理解してはいても行き場の無い怒りが沸々と沸き上がり、蓮を苦しめるのだ。

蓮は憤怒に駆られそうになる己の思考を振り切ろうと、必死で頭を左右に振った。
さっきはやっとの思いで、切れ始めた自制心を、胸の奥底に沈めてある本気の本音を表に一言晒すだけで、なんとか留めた。
『二度と不破にキスなんかさせたら許さんぞ』という脅しを言外に込めて。
キョーコはそれすら普段の蓮の『大先輩の教育的指導』の範疇で捕えていたのだろうが......。

だがこれ以上、蓮の理性を試すような爆弾を落とされでもしたら、心底どうなるか蓮自身、自信が無かった。


コンコン


控えめなドアをノックする音がする。


「はい?」と促すと、ぴょこりとキョーコがドアから顔を覗かせた。先程とは打って変わった晴れやかな表情で。

「敦賀さん?今いいですか?」

「......ああ、構わないけど」


内心、社のいないこの部屋で今二人っきりになるのは些か不味いかな、と過った思いはひた隠し。
キョーコは蓮の了承後、楽屋へと入ると後ろ手でドアを閉めた。

「あの、さっきは本当にありがとうございました!」

おかげで地の底まで沈む思いをせずにすみました!と心底晴れ晴れした笑顔でキョーコがぺこりと礼を言う。

屈託の無い笑顔で素直にそう言われると、蓮は些か複雑だ。
役者の心の法則としてキョーコに諭したことは決して嘘ではない。嘘ではないが......小学一年生の時のアンビリーバブルな初キス事件に関しては口からでまかせ、真っ赤な嘘。

ここに実父のクーか社長がいたらいとも容易く見破られたのだろうが、その当時の蓮はアメリカのビバリーヒルズ。親が親なだけに、セキュリティーのしっかりしたプライベートスクール通学で、勿論朝夕はきっちり運転手の送迎付きだった。学校に遅刻しかけて急いで走って誰かにぶつかるなんて事がある訳が無い。
たとえ、蓮ほど有名な両親でなくとも、通常のアメリカの子供達だって送迎はほとんど両親の車。そうでなくても、スクールバスだ。徒歩などほとんどありえない。

(まあ、それはそれ。この際、嘘も方便ということで大目に見て貰おう)

キョーコの見せる笑顔に微笑みながら、真面目に日本人の小学校時代というのを調べておいて良かったな、などと蓮が思っていたのは言うまでも無い。

「......確か、敦賀さんは今日もこの後夜までスケジュールぎっちりなんですよね」

蓮の神々スマイルに相変わらず尻込みしながら、キョーコはそう聞いた。

「あ、うん。そうだけど」

「それでですね!先程、社さんには既にお渡しましたけど......」

どことなく恥ずかしそうに、さっきまで後ろに隠していた物をずいっと蓮に差し出した。
それは、小さな保温用バッグ。おそらく、中には食べ物が入っているのだろうが......。

「いつもお世話になっているお礼に!ささやかな物なんですけど...っ。バレンタインの......」

差し出すキョーコの頬は、薄紅色に染まっている。

「お弁当です!」

どうぞ良かったらっ......と、てれてれと恥じらいながら蓮を見上げるキョーコは、凶悪的に可愛い。
蓮はごくん、と息を呑み込んだ。


「......お弁当?」

「えーと、やっぱり変に思われるかな〜と思って、さすがに社さんがおられる時に一緒にお渡しすることは憚られましたけど、一応、敦賀さんへのバレンタインの感謝チョコならぬ、特製感謝お弁当です!」

そっと受け取ったそのお弁当入り保温用バッグはずっしりと重い。

「移動の途中でも食べれるように、食べ易い物を詰めときました!ちゃんと栄養とバランスを考えて色々作りましたから、良かったら沢山食べて下さいね」

調子を取り戻したのか、キョーコはにこにこしながら、はきはきとそう答えた。

「これ...が、バレンタインの......」

と言っていたか?
蓮は戸惑いを隠せない。自分はきっとキョーコからバレンタインチョコは貰えないのだろう、と諦めていたから。いや、手渡されたこれも確かにチョコでは無いようだが。

「あ...あのですね。チョコならば、敦賀さん、文字通り至る所でそれこそ嫌になる程頂くんだろうなーと思ったので、だったらチョコなんかよりも、身体にいい滋養のある物を作った方が食べて貰えるんじゃ......ととと。いえいえ、別に、単なる私からの感謝の気持ちですので、食べて貰えなくてもそれはそれで構わないのですけど!」

口早にそう捲し立てると、ちょっと決まり悪そうにキョーコは視線を泳がせた。
無意識に蓮の口元が緩む。

(まったく、この子は......)

手渡されたお弁当の入った袋をそっと壁沿いのカウンターに置く。

(どうして、こんなにも容易く俺の心の琴線に触れるのだろう......)

誰にも心乱されまいとここ数年間律して過ごしていたのに。
それが嘘のように、触れられた心の琴線は反響に反響を重ね、水面に広がる波紋のように、じわりと想いを体中に浸透させる。

......想いが溢れる。

それは、堰を切ったように。

想いが理性を上まった時、蓮はキョーコを腕の中に閉じ込めていた。
...考えるよりも先に、無意識に。

キョーコの髪から、ふわりとシャンプーの清潔な匂いが香る。
甘いその香りに、腕の中の柔らかな感触に、蓮は眩暈を起こしそうになりつつも、そのままぎゅうっとキョーコの身体を強く抱き締めた。ビクリ、とキョーコの身体が一瞬強張る。

「あ、あの......敦賀さん?」

腕の中のキョーコが、不安そうに蓮を見上げた。その表情さえ、もはや蓮を煽る一因にしかならない。
蓮はそんな彼女の頬を撫でると、もう片方の手を後頭部に回す。

「つ......」
「ごめん、最上さん。ごめん......」

そして、まるで甘い蜜に誘われる蝶のように、薄らと開いた彼女の唇に蓮は吸い寄せられていった......。




とっとと決壊して、とっとと行動に移ってくれ......という願いを込めて 拍手掲載日 [2009年 10月 4日]



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