ACT145 after -5-(side K)


「教えて上げようか?キス」


...恋人同士のキス。
それまで交わしていた会話での声とは一変した低い声で囁かれてドキッとする。
なんて艶っぽい声を出すんだろうか?この人は。
頬を敦賀さんの両手で包み込まれ、逃げられぬままに射抜かれたその瞳の効果は絶大で背筋がゾクゾクするほど。
自分でもどうしてそうしてしまったのか分からない。でも、その瞳に誘われるように目を閉じた。
そうする事が自然に思えて...。

閉じてからちょっと後悔した。
視界を閉じてしまった分、他の些細な気配に敏感になってしまって...、見えなくても敦賀さんの顔が近付いてるのが分かる。
ちょっと......怖いかも。


「大丈夫だよ、優しくするから」


そんな私の怯えを感じ取ったのだろうか、敦賀さんの囁きが優しく耳元に響いた。
この人は......女の子にいつもこんな風に優しくするのだろうか?それが、仕事上であれ、プライベートであれ......。
そうならきっと、優しくされた女の子達はいとも容易く彼の虜になってしまうだろう。
私だって、さっきまでの恐怖が少し軽くなったような気がするもの。


「キョーコ......」


初めて敦賀さんにそう呼ばれた。芸名の『京子』でも、デビュー前からの知り合いの人達のように『キョーコちゃん』でもなく、いつもは頑に『最上さん』なのに。
思わず鼓動が大きく跳ねたのは、きっといつもとは違う呼ばれ方をしたせい。

敦賀さんの口から紡ぎ出されたその響きに思わず戸惑ってると、唇に触れる柔らかな感触......。
先ほどショータローにいきなりされた強引なものとは全く違うもの。
軽く何度も何度も、まるで宥めるように唇に触れては離れていく。

片方の手で未緒仕様の短い黒髪を指で繰り返し梳きながら、敦賀さんはもう片方の手で私の顎を持ち上げた。
優しく触れていただけの唇が、今度は私の唇を食むようなものに変わる。


「......ふ......ん」



息を止めているのが苦しくなって、思わず口を開いた瞬間、彼の舌が入ってきた。その柔らかい感触にドキッとする。

こ、これが巷に聞くディープキス?

でも舌は絡んで来ないし、敦賀さんの舌は私の歯茎や歯列をなぞるだけ。
他人の舌なんて気持ち悪いものだと思っていたのに、決して気持ち悪くはなかった。
とは言え、慣れない感触に反射的に顔を背けようとしてしまったけれど、いつの間にか後頭部に回されていた手でしっかりと顔を固定され、腰に回されていた腕で引き寄せられた。


「はぁっ」


さすがに息が上がって思わず声を漏らしてしまうと、敦賀さんがゆっくりと顔を離す気配がする。


「苦しい?」


閉じていた目を開けると心配そうな敦賀さんの顔があった。
なんと答えていいか分からず、ただ首を横に振るのが精一杯。
苦しい......とは違うと思う。ただ慣れてなくて勝手が分からないだけ。すみません、まったくの初心者で。
こんなキスは勿論のこと、唇と唇とが触れること自体、今日が初めてなんです!
そう思いながら、見上げる敦賀さんはいたって平然としている。
...やっぱり、経験値の差?


「じゃ、もっとちゃんとしたキスをしようか?少し口開けて、舌を出して?」


敦賀さんがさらりとそう言った。
そ、そんな恥ずかしい事を簡単に!......出来るわけもなく、とりあえず少しだけ出してみると、即座にペロリと舌を舐められた。ビクッと反射的に強張った私に気にせず、そのまま私の舌の上と下を舐めるように絡ませてくる。
先ほどの軽く触れるだけだったものと違い、唇を深く押し付けられ、強く吸い上げられた。

これが......ちゃんとしたキス?
確かに、無理矢理ショータローにされたのとも、先ほどまで敦賀さんに何度もされてたのとも違うけど......。

まるで、食べられてしまいそうで、思わず身体が萎縮してしまう。
でも、そんな私の身体を敦賀さんは優しく撫でてくれた。
唇は離さぬまま、首から腕へと何度も何度も安心させるように。


「...こういう時は鼻で息をするんだよ」


言うは易し、行なうは難し、です!

上手く息継ぎが出来ない私に敦賀さんはそう教えてくれたけど、私は抗議したかった。
彼はあくまで冷静だけど、私はもう、思考を保つのでさえ精一杯。
心臓がバクバク早鐘を打っていて、頭では分かっていても、どうすればいいかなんて...。
乱れた息を整えてると、敦賀さんは片手を私の頬に当てたまま、じぃっと見詰めていた。


なんて綺麗な人なんだろう......。


思わず見惚れた。男の人なのに、素直にそう思える彫りの深い綺麗な顔立ちが、至近距離でよく分かる。
こうして見ると敦賀さんの顔立ちは純粋な日本人とは違うかも、とふと思ってしまった。
普段は穏やかな光を称える漆黒の瞳も、今は奥に燻る熱い炎が見えるようで、思わず身体の奥がぞくっとする。

暫くの間の後、『ちゃんとしたキス』はその後も何度も何度も数えきれないくらい続いた。
もう、どこからが私の舌で、どこからが敦賀さんのか、分からなくなるくらい。
私はただ目を閉じて成されるがままに敦賀さんの唇と舌の感触を受け入れる事しか出来なくて。

多分私の顔は真っ赤になってるだろうけど、それはきっと息継ぎが上手く出来ないからで......、決して、決して、敦賀さんのキスに翻弄されてるわけじゃ......

そう思い込もうとしたけど、敦賀さんから施されるキスに頭は真っ白になるばかり。
いつのまにか、私は敦賀さんの膝の上に座らされ、しっかり密着して抱きしめられていた。
私は視界を閉じたまま、彼の温もりと舌の感触と......そして熱い吐息と共に耳元に囁かれる私の名に酔わされていた。


コンコンコン


単調なその響きがやけに楽屋によく響く。瞬間、はっと我に返った。
そう、例えるならば夢見心地に彷徨っていた状態から、一気に水をかけられて目が覚めた感じ。
少なからず敦賀さんもそうだったのか、傍にあった簡易イスを引っ掛けてしまったらしい、それはガタンと大きな音を立てて倒れた。


「蓮?キョーコちゃんの様子どうだ?落ち着いたかな?」




ドア越しに社さんが話しかけて来た。傍には緒方監督もいたようで、どうやら二人して私の様子を見に来てくれたらしい。


話しかけられたのが私じゃなくて良かったーーーーーっっっ。


とてもじゃないけど、敦賀さんみたいに平然と答えられません。役者として未熟と言われようが、なんと言われようが......。

社さんからもうすぐ出番だと教えられた敦賀さんは、そっと私を膝の上から下ろすとふわりと頬を撫でながら聞いた。


「......もう大丈夫だね?」


......それは、何に対してでしょう?と言う疑問は飲み込んで、こくこくと頷く。


「じゃあ、俺は先にスタジオの方に戻ってるから、落ち着き次第出ておいで?きっと他の皆も早く最上さんの笑顔を見たいだろうから」


先ほどの妖艶な夜の帝王など微塵も感じさせず、にっこりと爽やかに微笑みつつ、さらっとそんな気障な言葉を言えてしまうんだから、流石です。
なんとも言えずに楽屋から出ようとする敦賀さんの背中を見送っていると、ドアノブに手をかけようとした段階でくるりと彼が方向転換した。未だ腰が抜けた状態でソファに座ったままの私にツカツカと近寄り、


チュッ


柔らかな感触を唇に落とした。


「じゃあまたね、キョーコ」


言葉を無くして吃驚してる私に、にっと艶っぽく笑うと、今度こそ楽屋から出て行く。バタン、とやけにドアの閉まる音を響かせて。


敦賀さんの...
  敦賀さんの...
    敦賀さんの...


敦賀さんの天然いじめっこーーーーっっっ



真っ赤に染まった頬を押さえて、先ほどまでの一連の出来事を一気に思い出す。


はっ?!


『...あんなヤツに初めてを奪われるくらいなら、ダークムーンごっこの時、敦賀さんにして貰ってれば良かったっ』


私ってば、気が動転していたとは言え、なんてことを敦賀さんにっ。

気が付いたら、ショータローにされたキスのことなど綺麗さっぱり私の頭から抜け落ちていて、これからどうやって敦賀さんと顔を合わせれば良いのか、そればかり悩んでいた。



END



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蓮の心中などいざ知らず、すっかり翻弄されてしまったキョーコ。
虫祓い、ちなみに記憶の塗り替え成功! ...というお話。

拍手掲載日 [2009年 09月 06日]

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