蕾のままで

−Side Kyoko−



「あ、百瀬さん・・・・・・」

おはようございます、と続けようとしたことばが、宙に浮いた。
きっと私に気がついていないのだろう、彼女の意識は、手の中にある携帯電話に向けられているようだった。

―――――メールかな?それならここにいてもいいかしら。

そんなことを考えていた私の目の前で。
百瀬さんは一心に携帯に向けていた視線を和らげると、次の瞬間、その頬を染めて・・・・・・微笑んだ。


なんどとなく彼女の微笑みはみているというのに(それはふだんから演技からいろいろと)、その笑みはその中のどれとも違っているようにみえて。

私は思考がとまったように、そこに立ちすくんでしまった。
なんとなく、みてはいけないものを、みてしまったような気がした。

そんな私に気がついていない彼女は、うれしそうにぱたん、と携帯を閉じると、顔を上げた。
そして、驚きのあまり瞬きもせずみつめていた私と、視線が合った―――――と思ったとたんに。彼女の頬は、真っ赤に染まってしまった。

「きょ、京子ちゃん!み、みてた!?」

その上ずったような声に、私は素直にうなずいてしまう。

―――――まずかったかしら。
うなずいてから、少し後悔する。みていないふりをした方がよかったかな?

そんな私に百瀬さんはさらに頬を紅く染めると、慌てて近づいてきた。

「京子ちゃん、お願い!今みたこと、誰にも言わないで?」

頬を紅く染めたまま、必死の様子で手を合わせている。
その勢いに押されたように、「わ、わかりました」と答えていた(実際、一歩後ずさってしまっていたけれど)。

・・・・・・最初から、誰かに言うつもりなんてなかったんだけどな。

でもその私の返事に、彼女は安堵した様子で。
ほっとひとつ息をつくと「ありがとう、京子ちゃん」と言って、ふたたび微笑んだ。


「え、と、今のは彼からのメールで・・・・・・。実は、ね。二週間前から、付き合っているの・・・・・・」

彼の名前は、言えないんだけど、ね。

内緒話をするように、声をひそめて、百瀬さんが言う。


―――――そうか、そうなんだ。

初めてみた彼女の花のような微笑みは、携帯電話の向こう側の彼に向けられていたんだ。
理由がわかって、すとんと納得した。




マネージャーさんにもまだ打ち明けていないらしい、その彼のことを、百瀬さんは恥ずかしそうに、それでもうれしそうに話してくれた。

相手は同業者のひとみたい。この世界、どこから話が漏れるかわからないから。きっと、恋人ができたことを誰かに話したくても、言えなかったんだろうな。

彼のことを話す彼女は、本当に恋する乙女そのもので。私は微笑ましさと同時に、胸にかすかな痛みを感じたのだった。



百瀬さんとの共演は"DARK MOON"以降なんどかあったけれど、今回の撮影では、どこか彼女の演技が変わったような気がずっとしていた。
もちろん、演技の評価は元から高かったから、さらに演技力が上がったのかな、と思っていたけれど。

―――――きっと、恋をしているからね。

そう考えると、素直に納得できた。

恋をしている彼女は、同性の目からみてもとても可愛くて・・・・・・きらきら輝いてみえた。
きっとそれが、最近の演技にも反映されている。

それがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからないけれど。いろいろな経験を積むことは、演技をする上できっとプラスになるんだろう。


・・・・・・たぶん、この胸の痛みは。そんな経験を私が積むことは、きっとこの先もないから。



愛する幸せ、愛される喜び。

絶対に私が得ることのできないものたち。


だから、私は想像で恋の演技をする。

・・・・・・決して、私自身がそれを望んでいるわけではないわ。


私は、恋なんてしない。する必要も、ない。

あの絶望を、二度と感じたくはないし――――私なんかを愛してくれるひとが、いるはずないから。



私の演技が百瀬さんのように変わることは、きっとないのだろう。

女優としては、少し残念な気もするけれど。自分で決めたことだもの、仕方ないわ。




・・・―――――・・・大丈夫だよ・・・・・・。


なぜかふと脳裏を過ぎった面影を、慌てて打ち消す。


なぜ、ここであのひとの姿が思い浮かぶの?

それは、今まで数え切れないくらい相談にのってもらったし、あのひともいやな顔もせずに助言をたくさんしてくれたけれど。

話している最中に、思わず視線をそらしてしまうほどの、神々しい笑みをなんどももらったけれど。


あのひとは、至らない後輩にやさしくしてくれているだけ。

それに、皆に優しいひとだもの。私なんてその中のひとりに過ぎないわ。



だからこの痛みは、やさしいひとに迷惑を掛けてしまっているから。
ただでさえ忙しいひとの時間を取らせてしまっている、という罪悪感から。

きっとそうに決まっている。


そう。私は、恋なんてしていない。する必要も、ない。

呪文のように繰り返していれば。きっと今は消えないこの痛みも、いつかは消えるはず、よね・・・・・・。








−Side Ren−



休憩コーナーで珈琲を飲みながら、社さんを待っていたときだった。

「あ、京子ちゃんだ」

突然耳に入ってきた名前に、思わず意識がそちらに向いた。
機材を抱えたスタッフらしき男が二人、壁に貼られたポスターを見ながら、話をしているようだ。

「ああ、ホントだ。リップの宣伝かあ」
「京子ちゃんといえば、今度逸美ちゃんと映画でダブル主演するらしいぜ」
「え、すごいじゃないか」
「なんでも、新開監督直々のラブコールらしい」
「へえ、そうなんだ。それはすごいな」


その話は、最上さんから聞いていた。
ダブル主演とはいえ、私が主役なんて恐れ多いんですけど、とはにかんで話しながらも、とてもうれしそうだったのを覚えている。


「逸美ちゃんとダブル主演かあ・・・・・・。確か"DARK MOON"で共演してたよな?」
「そうそう、ヒロイン美月役が逸美ちゃんで、京子ちゃんは従姉妹役の未緒!・・・・・・あれは凄かったよなあ」
「おまえ、詳しいな?」
「ま、まあな。インパクトあったし」
「そうだよなあ。でも・・・・・・」

ポスターをみつめる二人。

「同一人物とは思えないよなあ」
「・・・・・・ホントに」


"DARK MOON"の出演によって女優デビューを果たした彼女は、最初の頃こそ未緒に似たようないじめ役をもらって悩んでいたが、その役を演じ分け、その才能を世間に認めさせていた。

そのおかげもあり、最近はそれ以外の役の依頼も、たくさん来ているようだ。

事務所で会う回数も、以前よりずっと減っている。
女優、タレントに加えて、彼女には学生という肩書きもある。
きっとなにごとにも一所懸命なあの子のこと、すべてにおいて全力投球をしているのだろう。


「今度の映画、前評判いいみたいだぜ。あの新開監督のうえに、このキャスト。今年一番の大作って話だ。賞、とるんじゃないか?」
「おい、気が早いな。でも・・・・・・」

再び、ポスターをみつめる二人。

「そうかもしれないよなあ。逸美ちゃんはすっかり演技派女優として定着したし、京子ちゃんも演技ではきっと負けないよなあ」
「そうだよな。それにしても・・・・・・」

三度、ポスターをみつめる二人。


「「可愛くなったよなあ」」


「未緒の頃から、只者じゃないと思っていたけどな。こんなに可愛くなるなんて・・・・・・」
「おい、おまえ、顔赤いぞ?」
「う、うるさいな!悪いか。・・・・・・ファンなんだよ」
「へえ・・・・・・。そういえば、京子ちゃんって、性格もいいみたいだぜ?前のドラマで一緒したヤツが言ってた」
「え、俳優?」
「いや、スタッフ。役者も裏方も区別なく、優しく礼儀正しく接してくれたって、そいつもすっかりファンになってたみたいだぜ。・・・・・・ライバルは多そうだな?」
「な、なに言ってんだ!いいんだよ、そんなの。最初から手が届くとは思ってはないし」

赤くなった男は、再度ポスターをみつめると、ひとつため息をついた。

「でも、演技派って評判だけど、気さくでお高くとまっていないって噂で・・・・・・。手が届くんじゃないかと、錯覚しそうになるんだよなあ」
「ああ・・・・・・わかる気がする」






男たちが去ったあと、すでに空になっていた珈琲の缶を捨てると、件の彼女のポスターの前に立った。

新色のリップの宣伝らしいそのポスターは、春らしい明るいパステルピンクのリップをつけた京子が、頬をほのかに染め、こちらに向けてやさしい笑みをみせていた。


―――――その微笑に、複雑な想いが湧き上がるのを感じる。



演技に迷い、彼女はいくども壁にぶつかっていた。
なんどか相談されたりもしたけれど。きっとそれがすべてではないだろう。
きっと俺の知らないところでも、演技に苦しみ、現場の人間関係にとまどい、役柄から思い出す過去の記憶からくる痛みに耐えていたはずだ。

それでも、悩んだ数だけ、彼女は確実に女優として成長している。

そしてそんな彼女が、徐々に世間に認められるようになって、本当によかったと思う。



それでも。



―――――以前は、俺にしかみせていなかった微笑みなのに。

狭量なことを考えてしまう自分に、自嘲の笑みがこぼれる。




「女の子は早いよぉ・・・大人になるの・・・」

いくどとなく思い返した、以前社さんに言われたことばを思い出す。

「きっと自分でも気付かないうちに、凄いスピードで磨かれて、どんどん綺麗になっていくぞ」


あれから、二年。

そのことばどおり、彼女は綺麗になった。演技も認められて、世間でも注目されている女優のひとりになっている。

そんな彼女を前に、いまだ拘りが解けない俺は、進むことも引き返すこともできず、この想いをもてあましたままだ。



―――――そんなに急いで大人にならないで。

―――――そんなに急いで花を咲かせないで。もう少しだけ蕾のままでいて。




そんな俺の想いも知らず。ポスターの中の君は、俺の目の前で綺麗に微笑んでいる。










冬の寒さに耐える花は、それでもやがて小さな蕾をつけ、春が来るのを待ち望む。

厳しい寒さに耐えた花は、春が訪れたとき、待ち焦がれたように美しく咲き誇る。



キョーコの花が咲くのは―――――もうすぐ?






2008.5.11 by 森川紗月


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こちらは、「疏水の月」の森川紗月様から頂き物。この作品は、これの前作への私のコメントから思い付いたというお話だそうで、その縁でプレゼントして下さいましたv いや、なんかそういう風に言われると面映いですねぇ。実は、私もこのお花話を読んで、花にまつわる話を書いてみたくなったのですよ。その結果が「赤いカーネーション」。これが今までと少し違うシリアスタッチと思った方もいらしたようですが、もしかしたらその影響もあるかも。

かのサイトでは、蓮とキョーコ、それぞれの心境を独特な描写で綴られた作品が楽しめます。
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