おかえりなさい

連日の撮影、取材ラッシュをなんとかひと段落まで片付けて、今日は数日ぶりに自宅へと戻る。
ここ数日のホテル暮らしも悪くは無かったけれど、やっぱり自宅が一番落ち着く。それはきっと、誰にとってもそんなものだろう。

明日の昼にはまたあの戦いの場へ戻る予定だけれど取り合えず今夜は、慣れたベッドで手足を伸ばして眠りたい。 帰る間際、俺と同じ...いや、それ以上に忙しく走り回る優秀なマネージャーに念を押された事柄はふたつ。

ひとつ目は、車は置いて帰る事。
ふたつ目、食事をちゃんと摂る事。

ひとつ目は、こんな状態の自分が運転するのは確かに危険。
外で捕まえた車はゆっくりと自宅マンション近辺に停車。久しぶりにゆっくり見上げた夜空に息を吐くと、連日の疲労が一気に襲ってくる。
ふたつ目の言いつけは...どうでもいい。眠さは限界。ごめん社さん明日の朝はちゃんと食べるようにしますから、今夜はもう勘弁してください...

と、心の中で無意味に謝罪をしつつ、玄関先で鍵を探す。が、

「あれ?」

共同玄関の暗証番号は指が覚えているから問題は無かった。しかし、部屋のカードキーはそういう訳にいかない。いつも入れている鞄の中、定位置。ポケットの中、その他諸々。

「...ない?」

間抜けにも、独り言になる程度には困惑した。
何日か前、家を出たあの時、俺はどこにしまった?予備の鍵はどこに隠してたっけ、俺...

...ああ、頭が上手く回らない。
眠い。その前にシャワーを使いたい。でも、その為には玄関を開けなくてはならず、けれど、鍵が見つからない。

(管理会社に連絡して鍵を開けて貰うのと、このままホテルか事務所に戻るのと、どっちが早くベッドに入れるだろうか)

鍵はきっと車の中だろう。万が一落した可能性も無くは無いが、今はもうその辺の事は考えたくない。とにかく頭が回らない。眠い。

誰も居る訳が無いのに、意味も無くインターホンを押してみたりして、何となく放心状態。
ああ、本当にどうしよう。管理会社の電話番号、携帯に入れてたっけ?ああ、そうだ、確かキーには書いてあった...って、そのキーが無いんじゃないか、馬鹿か俺は。

「...参った」

呟くのとほぼ同時。
その時、カチャリとちいさな音をたてて、

「あ、おかえりなさい」
「...ただい、ま?」

...まさか内側から扉が開く、なんて。
1人暮らし、暦だけは無駄に長い今では、思ってもいなかったのだ。

「・・・もがみ、さん?」

なんでウチに?
今度は、間抜けにも声にならない程度に困惑した。なんだろうこれは。
疲れていて眠くて仕方が無い俺の脳が俺にみせている、都合の良い幻だろうか。何でこの子がうちに居る?しかも、エプロン姿なのは一体どういう事なんだ。

そんな俺を下から一瞥、何も言わない俺の表情から何かを感じ取ったのか、彼女はきょとんと問い返す。

「って、敦賀さんが鍵、渡してきたんじゃないですか」

疲れてるんですねぇと同情を含んだ目で見られて、思い出す。

...ああ、そうだ。俺が彼女に鍵を渡した。
昨日、荷物を受け取りに事務所に立ち寄った時、ばったり出会ったラブミー部員。
逃してなるものかと、半ば無理やり鍵を渡したのは確かに、俺だ。

「敦賀さん、取り合えず中へ入られませんか?お疲れでしょう?」
「    、ああ、うん」
「仰ってた時間より遅かったですね。撮影、長引いたんですか?」
「...俺、何か言ってた?」
「......『明日は久しぶりに自宅へ帰れるんだけど、暫く帰ってなかったから部屋、埃っぽいだろうなぁ』って」

あー...なんかそんな事、言った気もするかも...

「.........『最近いつも以上に食欲が無いんだ。俺は別に困らないんだけど、俺が倒れたら社さんは大変だろうなぁ』」

そうそう、本当に最近、いつも以上に食事摂る気しなくて...

「『まぁ、どれだけ埃が溜まってようと食事を摂らなかろうと、最上さんには関係無いよね。ごめんね、変な事言って。あ、これうちの鍵だから』...って、まさか、憶えてないんですか!?敦賀さんっ」

「・・・・・・・」

ああもう駄目だ、ごめんそんな凄まれても、もう本気で頭が働かない。
鞄と上着を受け取ろうとする彼女を制しながら辿り着いた居間、俺はソファに座り込む。そんな俺を哀れに思ってくれたのか、今までと一転、優しい声が降ってきた。

「簡単にですけどお夕飯...もうお夜食の時間ですけど。作ってありますので、って、その前にお風呂入られます?用意しましょうか?」
「         、ああ、うん」
「じゃあ用意してきますから、ちょっと休んでて下さい。...まだ寝ちゃ、駄目ですよ?」
「あー ...、うん」
「寝るなら、せめて着替えて下さい。そんな堅苦しいお洋服のままじゃ、ゆっくり寝られないでしょう?」
「...うん」

目を閉じる。
世話を焼く、暖かな声が聞こえる。疲れていた筈の身体が、心が、安らいでいく。
こんな事で、また明日も頑張ろうなんて気がしてくる、なんて。

「最上さん、ちょっと」
「...はい?」

鍵を渡しておきながらそれを忘れていた自分はかなり間抜け。でも、良くやった、俺。

単純な自分の思考につい笑い出した俺を不思議な顔で見返した彼女は、それでも何も言わずに俺の手招きのまま、ソファの、俺の傍に寄ってきてカーペットに膝をつく。
そのままじっと俺を見上げてくるから、俺はその頭をひとつ撫でて、怒られる前に言い慣れない言葉をひとつ、笑顔と一緒に。


「ただいま、最上さん」



「......おかえり、なさい?」



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おかえりなさい

「あっ敦賀さん寝ちゃ駄目です!寝るなら寝室へ、って!もうっここで寝たら襲っちゃいますよ!」「・・・(え?)」2006/10/03

サイト1周年記念に「HAPPYLIKE」のコバト様がフリーにして下さった作品。
「〜何かご入用あればご一報下さい」とご親切に言って下さったので、遠慮せずにこの蓮→キョ話をリクエストしました。
蓮→キョベースだけど、「何気ないキョーコの行動に癒される蓮」が私的にとてもツボなのです。「ささやかな幸福」を絶賛体験中の蓮。こんな展開、本誌にもあったらいいな〜、と。
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